ベートーベン 「月光」|ららら♪クラシック

ルートヴィヒ・ファン・ベートーベンは、ピアノソナタ「月光」で当時の常識を打ち破りました。

 

そして、曲のタイトル「月光」はベートーベンがつけたものではないのです。それなのに何故こんなにもこの名前が広まったのでしょうか?

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

月の光にみせられて

ある夜、ベートーベンが街を散歩していると一軒の家からピアノの音が聞こえてきました。耳をすますと、それはベートーベンの曲。音がする家の中に入るとピアノを演奏していたのは盲目の少女でした。ベートーベンは彼女のために一曲披露しようとピアノの前に腰かけました。窓を開けると美しい月の光が。ベートーベンはこの月の光を題材にピアノを奏でたのです。それが「月光」の曲だったというのです。

 

この物語をどこかで聞いたことのあるという人も多いのではないでしょうか?実はこの話「月光の曲」というタイトルで、戦前の教科書に掲載された完全なフィクション。かつては月光の曲を聴きながら、この創作物語を読むという時代もあったのです。

 

現在出版されている楽譜にも「月光」とついているものが数多くあります。しかし、「月光」という名前は作曲者であるベートーベンがつけたわけではありません。そもそもベートーベンがこの曲につけたタイトルは「幻想曲風ソナタ」、全く違う名前です。

 

「月光」というタイトルが広まったのはなぜ?

実はハッキリした理由は分かっていません。研究者たちの間で最も有力とされているのは、ドイツの詩人レルシュタープの言葉がきっかけだというもの。

 

当時、音楽評論家として大きな影響力を持っていたレルシュタープ。彼はこの曲の第一楽章を聴き「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と例えました。この言葉が広まり「月光」と呼ばれるようになったと言われています。

 

さらに「月光」というネーミングを後押しした理由の一つに、ベートーベンの儚い恋物語がありました。

 

ベートーベンの恋物語

作曲当時、ベートーベンは伯爵令嬢ジュリエッタ・グイッチャルディに好意を寄せていました。この作品は愛する彼女に贈られたものです。

 

ベートーベンは彼女にピアノを教えていました。ジュリエッタは18歳、ベートーベンは30歳。年の差12もある美しい彼女に恋をしたのです。ジュリエッタもベートーベンの才能に惹かれ、ほどなくして2人の交際が始まりました。しかし、2人の恋には大きな壁がありました。

 

結婚が幸せをもたらせてくれるかもしれないと考えたのは、これが初めてです。ただ残念なことに彼女は僕とは身分が違うのです。そして今のところ僕は彼女と結婚できそうもありません。

(ベートーベンの手紙より)

 

しがない音楽家と伯爵令嬢、境遇の差が生みだした壁は厚く、2人の恋はやがて終わりをむかえました。

 

悲しい恋の物語の切なく儚い印象が「月光」という呼び名を後押ししたという見方をする人もいます。様々な想像をかきたてる「月光」という呼び名。ベートーベンもまさかこう呼ばれているとは夢にも思っていないでしょう。

 

常識をくつがえせ!

1770年、ドイツで生まれたベートーベンは30歳でピアノソナタ「月光」を作曲しました。当時はまだまだ駆け出しの作曲家。一流の音楽家として世間に認められたいと意欲に燃えていた頃の作品です。

 

彼がこの曲につけたタイトルは「幻想曲風ソナタ(sonata quasi una fantasia)」です。この幻想「fantasia」とは夢の世界のようなという意味ではありません。「即興演奏する」つまり自由な発想という意味なのです。そこには、ピアノソナタの常識を覆そうとするベートーベンの強い意思が反映されていました。

 

まず注目するのは第1楽章、アダージョ・ソステヌート(ゆっくりと音を切らないように)と指示されています。これは当時のソナタではありえないことでした。

 

「月光」が登場する以前のピアノソナタは、モーツァルトの作品のように第1楽章はアレグロ、つまり速いテンポで華やかに始まるというのが一般的。第1楽章に大きな盛り上がりをみせてフィナーレの第3楽章は軽快に終わるのが決まりでした。

 

さらに、第1楽章にソナタ形式、つまりメインメロディを提示。その後、展開→再現→終結させ1つの楽章を構成することも当時のピアノソナタの常識だったのです。

 

しかし、ベートーベンはこの作品でソナタ形式を第1楽章ではなく第3楽章に使っています。大きな盛り上がりも最後の楽章に持ってきているのです。

 

革新的な音楽を作り出す一方、この時期ベートーベンは体調不良にみまわれていました。数年前から悩まされていた耳の異常を日に日に強く感じるようになっていたのです。そして「月光」を発表した翌年、ベートーベンは遺書をしたためています。自ら死を意識するほど思い悩んでいたのです。

 

音楽家として致命的ともいえる耳の病を周囲に打ち明けることもできず思い悩む日々。次第に募る焦りや苛立ちから、ベートーベンは人に会うことも避け、家にこもる生活を送るようになっていきました。そんな苦しみを抱えたベートーベンの心の叫びが「月光」の中にも感じられます。

 

「ららら♪クラシック」
月夜にきらめく不滅の輝き
~ベートーベンの「月光」~

この記事のコメント

  1. 弁当ベン より:

    ラララクラシック、面白かったですね。
    月光の由来も、興味深かったです。

    インターネットの投稿小説に、今回のものと同じ内容の話がありました。
    http://ncode.syosetu.com/n3343cj/7/