ショパンの「雨だれ」は、雨音のような伴奏と憂いを帯びたメロディーが聴く者の心を掴んで放しません。名曲誕生の裏には、地中海で花開いた愛の物語がありました。
しかし、「雨だれ」には甘いロマンスだけでは語れない作曲家ショパンの壮大な野望が隠されていました。
フレデリック・ショパン
愛と死の旋律
フレデリック・ショパンの代表作「雨だれ」が生まれた背景には恋人の存在がありました。彼女の名はジョルジュ・サンド。当時、フランスを中心に人気を集めていた女流作家です。
ジョルジュ・サンド
ショパンとサンドが出会ったのはパリのある夜会でした。ショパンのサンドに対する第一印象は良くなかったと言われています。それもそのはず、2人の性格は正反対なのです。
サンドは周囲に何人もの男をはべらせているような、いわゆる肉食系の女性。一方、ショパンは病弱で繊細な心を持つ草食系の性格でした。
しかし、そんな2人が出会いから1年程経ったところで急接近。恋人関係に。ショパンの音楽に対するサンドの深い理解と共感が2人の距離を縮めたと言われています。
そんな2人が地中海のマヨルカ島へ逃避行。有名人カップルのスキャンダラスな噂で騒ぎ立てるパリから逃れ、また病弱なショパンの療養もかねての長期旅行でした。
島の別荘での暮らしに心躍る2人でしたが、ショパンが持病の肺結核をこじらせてしまいました。別荘から追い出されてしまい、やむなく島のはずれにあるカルトゥハ修道院で暮らすことに。
2人がマヨルカ島を訪れたのは、しとしとと雨が降り続く冬の時期でした。おまけに修道院は雨漏りのするようなひどい環境。サンドによる献身的な看病を受けてもショパンの病状は死の淵をさまようほど悪化してしまいました。
そんなある日、サンドは買い物のためショパンを修道院に残して町へ。しかし、突然の嵐が島を襲いサンドの帰りが夜遅くになってしまいました。サンドが修道院に帰るとショパンは不安にさいなまれながら作曲したばかりの曲を弾いていたと言います。
その曲こそ「雨だれ」です。サンドは手記にその時の様子を書き残しています。
僧院の屋根に落ちる雨だれは、彼の想像と音楽のなかで天から落ちる涙に変わったのだ。
雨だれには愛するサンドと共に聞いた雨音、そして死の淵をさまよった時の雨音が刻み込まれていたのです。
前奏曲で創る小宇宙
ショパンのマヨルカ島への旅は、病の療養以外にも目的がありました。ショパンは島へ渡る数年前から壮大な曲集の構想をあたためていました。それはショパンが最も敬愛していた作曲家バッハの「平均律クラヴィーア曲集」にヒントを得たもの。
「平均律クラヴィーア曲集」は鍵盤楽器のために書かれた全2巻48曲から成る大作。24ある全ての調性が使われた音楽史上初の作品でした。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」を徹底的に研究していたショパンは、いつしか自分も24の調性全てを使った曲集を作りたいと考えるようになったのです。
しかし、ショパンは単にバッハを真似るような作品にはしたくありませんでした。ショパンならではの方法で曲集を作ろうとしたのです。ショパンはそれぞれの調性の特徴を際立たせて24の全く異なる表現を目指しました。それが「24の前奏曲」です。ショパンはこの野望を実現させるため、パリで使っているピアノと同じ型のものをわざわざ運ばせる程の熱の入れようでした。
しかし、マヨルカ島で死の淵をさまようほど肺結核が悪化してしまったショパン。それでも自分のピアノ表現の限界に挑戦したいと作曲の筆を止めることはありませんでした。
「24の前奏曲」の第15番「雨だれ」はそんな小宇宙の一角をなすショパン入魂の一作だったのです。
「ららら♪クラシック」
雨音は天から落ちる涙の調べ
~ショパンの「雨だれ」~
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