シベリウスの「バイオリン協奏曲」|ららら♪クラシック

ジャン・シベリウスは、北欧フィンランドを代表する作曲家です。フィンランドの国民的英雄として愛されるシベリウスですが、彼はある時期フィンランドから逃れようとしました。一体シベリウスに何があったのでしょうか?

 

ジャン・シベリウス

 

魂の叫び

ジャン・シベリウスが活躍を始めた19世紀末、フィンランドはロシアの支配下にありました。民族意識が高まったこの時期、国民は独立を目指す熱気に満ち溢れていました。

 

そんな時代にシベリウスは、フィンランドに古くから伝わる伝説や神話など民族的な素材をもとに愛国的な作品をかきました。中でも祖国愛を描いたシベリウスの代表作「フィンランディア」はロシアの圧政に苦しむ人々を勇気づけました。こうしてシベリウスは独立運動を音楽で担う存在としてフィンランドの国民的英雄となったのです。

 

しかし、彼が本当に望んでいたのはフィンランド国内にとどまらず、もっと広い世界で認められる作曲家になることでした。「フィンランドの民族主義的な作曲家」というレッテルを剥がしたかったのです。

 

そこで、シベリウスは作風を変え民族主義的なテーマから離れ、より普遍的な作品をかき始めました。ところが、シベリウスの思いとは逆にそれらの作品もまた愛国的な作品と受け止められてしまいました。

 

「作品はわが魂の叫び!政治的意図はない」とシベリウスが次こそはと取り組んだ曲が「バイオリン協奏曲」です。バイオリンを愛し、自ら高い演奏技術を持っていたシベリウスにとってバイオリンこそが思いの全てを伝えるのにふさわしい楽器だったのです。

 

自然が教えてくれた音

シベリウスの勝負の一曲「バイオリン協奏曲」は、自らの指揮で初演されましたが大失敗。シベリウスの思いが強すぎたためでした。

 

あれもこれもと詰め込んだ曲は長く複雑となり、バイオリンソロは超絶技巧のオンパレード。さらに、ソリストの力不足という不幸も重なったのです。自分の未熟さを感じたシベリウスはこの曲を封印してしまいました。

 

すさんだ生活を送るシベリウスは「このままでは自分の音楽が死んでしまう」と感じ始めていました。みかねた友人のアドバイスに従い、シベリウスは生活環境を変えました。

 

移り住んだのは湖のほとりの静かな森。そこは電気も水道もない自給自足の生活を強いられるような場所でした。

 

そんな環境で献身的にシベリウスを支えたのは妻アイノ。二人が生活した家は彼女の名前から「アイノラ」と呼ばれました。豊かな自然に囲まれたアイノラでの生活は、シベリウスの音楽に大きな影響を与えました。

 

そこにあったのは静寂の音自然の息遣い大地からわきでてくる音でした。シベリウスは自然の中に身を置くことで、内からわきでてくる音こそが自分の音楽だと気づいたのです。

 

創作意欲を取り戻したシベリウスは、封印していた「バイオリン協奏曲」の改訂にとりかかりました。

 

こうして生まれ変わった「バイオリン協奏曲」はシベリウスの新たな音楽への第一歩となり、それはまた世界への第一歩でもありました。その後も自然豊かなアイノラで創作活動を続けたシベリウスは、世界で認められる作曲家となったのです。

 

「ららら♪クラシック」
静寂から生まれた音
シベリウスの「バイオリン協奏曲」

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