「春の祭典」はバレエ音楽ですが、バレエらしい甘いメロディーや感動的なハーモニーは一切ありません。作曲者はロシア生まれのイーゴリ・ストラヴィンスキー。華やかなバレエ音楽を次々と発表し、30歳で書いた意欲作が「春の祭典」でした。
初演で起こった大混乱
初演は1913年5月29日のパリ。会場には着飾った紳士淑女たちが大勢つめかけました。しかし、始まったのは見たこともない奇妙なバレエ。客席は非難と絶賛の声が入り乱れ、騒然とした雰囲気に。
何だこの騒音は!
「何だこの騒音は!」
「これこそ新しいバレエだ!」
晩年、初演の劇場を訪れたストラヴィンスキーによると…
騒動はこの辺りで始まったんだ。ものすごい騒音だった。
(イーゴリ・ストラヴィンスキー)
ダンサーのポーズに聴衆は野次を飛ばしました。
「お前ら歯が痛いのか!」
ついには警察が飛び込む大騒動に。フランス音楽の大家サン・サーンスは音楽が始まるなり「楽器の使い方がなっていない!」といって席を立ってしまいました。
ストラヴィンスキーは、後にこう言いました。
我々は興奮していた。腹が立ちむかついていたが幸せだった。
(イーゴリ・ストラヴィンスキー)
野蛮な世界観がもたらしたもの
「春の祭典」の舞台は古代ロシア。春を迎える儀式で少女が生贄になります。その野蛮な世界観がパリの観客にもたらしたのは今までになかった感覚でした。
天才プロデューサー
「春の祭典」には影の仕掛け人がいました。芸術プロデューサーのセルゲイ・ディアギレフです。1909年、ディアギレフはロシアの一流芸術家を集めて「ロシア・バレエ団」を立ち上げました。その中にいたのが、まだ駆け出しだったストラヴィンスキー。ディアギレフがその才能を見出したのです。
20世紀初頭、自動車や飛行機が交通の主役になり、巨大な建造物が建てられました。そんな中、ディアギレフがプロデュースしたのが「春の祭典」です。斬新な音楽と演出はパリ中の関心を集めました。
「春の祭典」の後、ディアギレフはさらに多様な芸術家を巻き込んでいきました。いずれも新たな表現を生み出し、社会にインパクトを与えた最先端の芸術家たち。ピカソやマティスなどの画家、作家、デザイナーらのアイディアを組み合わせ、今までに見たこともないような舞台を生み出したのです。
ディアギレフが音楽の天才ストラヴィンスキーと組むことで、芸術全体に新たな時代がもたらされたのです。
「ららら♪クラシック」
ストラヴィンスキーの「春の祭典」
~時代を変えた衝撃の音楽~
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