林眞須美の長男が和歌山カレー毒物混入事件の真相を告白|激動!世紀の大事件Ⅴ

フジテレビの「報道スクープSP激動!世紀の大事件Ⅴ」で林眞須美の長男が和歌山カレー毒物混入事件の真相を告白していました。

 

1998年7月25日、和歌山カレー毒物混入事件が起こりました。夏祭りのカレー鍋に猛毒のヒ素を入れた林眞須美(はやしますみ)死刑囚。逮捕までの2か月余り、林眞須美はメディアに様々な表情を見せました。時に涙ながらに疑惑を否定し、時に群がる報道陣を挑発しました。そして、殺人および殺人未遂の罪で死刑が確定したのは2009年でした。事件当時、報道で決して触れられることがなかったのが林眞須美の子供たちです。林眞須美死刑囚には4人の子供がいました。取材に応じたのは30歳になる長男・林義春さん(仮名)です。19年を経た今も事件の影は付きまとってくると言います。生活していくには働かなくてはなりません。

「どうしても名前とか言っちゃうと気づかれてしまう。素性というんですかね。」(長男・義春さん)

林眞須美の子だと分かると解雇。これまでに6度仕事を変えてきたと言います。殺人犯の息子という十字架を背負って19年。彼はなぜ取材に応じたのでしょうか?

 

事件発生当時、長男は塾に通いピアノなども習っていたそうです。

「母親に関してはすごく教育熱心で小学校1年生とかでも3、4年生の勉強を教えてくれてた。あなたは大きくなったらお医者さんになるんだって、すごく強く言われてましたね。」(長男・義春さん)

長男はどこにでもいるようなごく当たり前の母親を回想します。でも、一方で常軌を逸する両親の姿も目にしていました。

「札束の雨みたいなのを三女の頭の上から帯を外してからかけるというか。1000万円のブロックを子供ながらにそれを重ねて積み木遊びみたいにして。」(長男・義春さん)

林眞須美夫婦はどのようにして莫大な現金を手にすることができたのでしょうか?夫・林健治さんは詐欺罪による6年の刑期を全うし、今は一人暮らしをしています。大金は全て騙し取ったものだったのです。

「保険詐欺の繰り返しをやたんですね。こんな楽な事でこんなお金入るんかって、僕そこから病みつきになったんです。」(林健治さん)

 

当時、保険外交員をしていた林眞須美は様々な手法で保険金詐欺を繰り返していたことが分かっています。その一つがわずか0.1gで人を死に至らしめる猛毒ヒ素を使うもの。夫がシロアリ駆除の仕事で使用していたヒ素を夫や知人などに与え、多額の保険金を手にしていたのです。微量のヒ素を牛丼や葛湯などに入れて食べさせるというやり方でした。そのころ、突然入院した父と母とのやりとりを長男は覚えていると言います。

「お見舞いに行くんですけど動けるんですけどお父さん本人は動けないふりをした方がお金になるみたいな会話をしていたのは聞いたことがあります。動かしちゃったら保険会社のリサーチが来て、それを言われるとお金にならないとか会話をよくしていました。」(長男・義春さん)

1993年には4000万円代だった保険金の受取額は、3年後4年後には1億7000万円前後にまで達しました。カレー鍋にヒ素が混入されたのはその直後でした。

 

事件の当日、長男は夏祭りを楽しみにしていました。

「これがカレーの券、お菓子の券、それが地域の子供達に配られていて自分もそういう券を持っていた記憶があって僕は行きたい行きたいって言っていたんですけど。」(長男・義春さん)

しかし、林家は午後6時半頃カラオケ店へ行くことになりました。夏祭りは惨劇の場となりました。メディアは殺到しましたが、現場の詳細はこれまで詳らかではありませんでした。警察の資料には毒物による無差別殺人の上京が生々しく報告されています。現場は阿鼻叫喚の地獄だったのです。夏祭りの会場でカレーがふるまわれたのは午後6時頃からでした。ある者はその場で、ある者は自宅に持ち帰って口にしました。異変はすぐに現れました。始めは人目をはばかり草むらで嘔吐する人、やがて泣き叫ぶ声が上がりのたうちまわる人々の苦しげな悲鳴も加わっていきました。「カレー、ストップ」どこからともなく大声が響き渡りました。病院に運ばれたのは67人。うち幼児を含む4人が亡くなりました。

 

事件よりも前に男性がヒ素中毒の症状をていしていたことが分かり、疑惑の眼差しは林眞須美に集中しました。取材陣も連日自宅を取り囲みました。林眞須美への疑惑が高まっていくなか長男には気がかりがありました。

「小学5年生の運動会というと自分の中では大きい行事ごとだったんで、すごい楽しみだったんですよね。(運動会に)絶対行ってあげるよっていう返事をもらって、次の日朝起きたらいてなかったですね、お母さんは。」(長男・義春さん)

警察が林眞須美逮捕に踏み切った早朝、周囲を取り囲む報道陣は300人を超えました。長男は家の中でまだ眠っていたと言います。捜査員に促され2階に上がると、テレビには自宅が映っていました。逮捕後の家宅捜索で自宅にあったヒ素とカレー鍋のヒ素などが一致。林眞須美の毛髪からもヒ素が検出されました。11歳だった長男は以来、殺人犯の母を持つ子供として生きていくことになったのです。

 

事件後、長男は児童養護施設に送られました。しかし、理不尽に耐えかね17歳で児童養護施設から逃げ出しました。なぜ長男は取材に応じたのでしょうか?

「裁判の結果を見た時に動機だったりそういう部分がちゃんと解明されてなくて、真実として真相が一番知りたいです。」(長男・義春さん)

死刑判決は林眞須美がカレー鍋にヒ素を入れた動機について「未解明」としています。長男はどうしても動機を知りたいのです。なぜなら、あの日は母親はいつもと少しも変わらなかったからです。

 

警察の未公開捜査資料には犯行にいたる経緯が記されています。捜査資料によると、事件の発端は夏祭りの10時間前、朝8時間半頃。林家の間近にあるガレージだったと言います。自治会の役員たちが中心となりカレーが準備されていました。役員だった林眞須美は「用事がある」と不参加。警察は林眞須美の不在が犯行の下地になったとみています。日頃から用水路にゴミを捨てていた林眞須美は地区で疎外される存在だったと言います。犯行時間とされる昼の12時頃。林眞須美はカレー鍋の見張りに立つことになっていました。林眞須美の陰口がガレージに現れた本人に聞こえてしまいました。気まずい空気が流れました。彼女たちの対応に疎外感を募らせた林眞須美が激高し犯行に及んだというのが警察の見立ての一つです。その後、一人で見張り番に立った林眞須美は致死量の1000倍を超える100g以上のヒ素を鍋に入れたと考えられています。

 

しかし、長男にはどうしても辻褄が合わない記憶があると言います。

「自分が母親の言葉を信じるって発言をするということは遺族や被害者の方々、世間の方々の気持ちを踏みにじってしまう事になるので。でも、自分の見てきた当日の母親は全然いつも通りの母親で、そこがやっぱり辻褄が自分の中で合わない。」(長男・義春さん)

あの日、犯行時間とされる時間帯の前後、長男は現場となったガレージのわきを通りがかっていました。後に幾たびも思い出す光景がそこにはあったのです。それは次女と2人で並んでしゃべっていた姿です。いつもと変わらぬ母だったそうです。そして、見張り番を終えた母と長男はそうめんを食べたと言います。

 

林眞須美は今も無実を訴えています。一方、彼女と犯行に使われたヒ素を結ぶ状況証拠は決定的です。事実は一つしかないのです。




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