豊臣秀吉が攻め落とした日本最恐の心霊スポットが鳥取県鳥取市にある久松山です。久松山の頂上には昔、鳥取城が建っていました。今は建物はなく石垣に当時の面影だけを残す公園になっています。
しかし、夜になると秀吉を恨む数千人もの人々の霊が食べ物を求めて彷徨う姿が目撃されると言います。
写真を撮ったら足の無い人影が映った
城の門まで追いかけられた
鳥取城の悲劇
1581年、時は戦国時代。天下統一を目指す織田信長は西の大国・毛利家と激しい戦いを展開していました。当時、信長の部下だった豊臣秀吉は次々と毛利軍の城を攻め落とし鳥取城へ到着。鳥取城をどう攻めるか、軍師の黒田官兵衛と会議しました。
そして兵糧攻めをすることに。まず、黒田官兵衛は城の周りの食べ物を買い占めました。これにより鳥取城は食料不足に。次に秀吉が城の周りを2万人の大軍で包囲。さらに、わざと城の周りの村を襲い農民たちを城に逃げ込ませました。人口1500人だった城は4000人に。城にあった食料は1か月で空っぽになりました。
城内の人々は飢えから逃れようと虫やカエル、雑草まで食べたと言います。そんな状態が100日も続き、人々は空腹に苦しみながら飢え死にしました。
このとき、鳥取城を守っていた城主は吉川経家。まるで地獄絵図のような城の惨状をみかねた経家は、自らの命と引き換えに秀吉に城の人々の命ごいをし切腹しました。
「金曜プレミアム・映っちゃった映像GP」
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