山岡久乃(やまおかひさの)さんは、16歳の時に宝塚音楽舞踊学校で演技を学び、20歳で女優デビューしました。
そんな山岡久乃さんが一躍ブレイクしたのが、1970年放送の「ありがとう」です。当時46歳の山岡久乃さんは、このドラマで水前寺清子さんの母親役を熱演。民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録しました。
その後、山岡久乃さんのもとには次々と母親役のオファーが殺到しました。そして「渡る世間は鬼ばかり」では5人姉妹の母役を7年間務めました。山岡久乃さんは「日本のお母さん」と呼ばれる大女優になりました。
一方、プライベートでは1956年に青年座の劇団員と結婚。子宝に恵まれず15年の結婚生活の末44歳で離婚。そこで子供がいない山岡久乃さんは外に出て親子の会話を観察。30年以上お母さん役を演じてきた裏には地道な努力が隠されていました。そんな山岡久乃さんですが、晩年は謎に包まれあまり知られていません。
「渡る世間は鬼ばかり」を降板
山岡久乃さんが世間を騒がせたのは1998年。「渡る世間は鬼ばかり」を降板。しかも降板理由を一切語らぬまま表舞台から姿を消したのです。そのため、「ボケた?」「重病?」「報復?」など週刊誌は様々な憶測を書きたてました。
さらに、人気脚本家と確執があったのではないかという噂まで浮上。一体なぜ山岡久乃さんは突然「渡る世間は鬼ばかり」を降板したのでしょうか?
山岡久乃の養女
さらに、ちょうどその頃から子どものいなかった山岡久乃さんの周囲に「養女」と名乗る謎の女性がいることが判明。山岡泰子(やまおかやすこ)さんです。数々の噂に対し一切口を開かないまま山岡久乃さんは亡くなりました。
養女が全てを激白
現在45歳になった山岡泰子さんが全てを初激白していました。山岡久乃さんと泰子さんの関係は伯母と姪です。泰子さんは、山岡久乃さんが特に親しかった末の妹の娘です。山岡久乃さんが亡くなる2年前、電話で「養子になって欲しい」と言われたのです。
そして1997年の夏に泰子さんは山岡久乃さんの養子になりました。養子になって以来、より厳しくしつけられたと言います。日本のお母さんである山岡久乃さんは、本当のお母さんになりたかったのです。
降板の原因はがんだった
「渡る世間は鬼ばかり」を降板したのは、がんが原因でした。山岡久乃さんが患ったがんは胆管がんでした。判明した時にはすでに手術ができないステージ4でした。1年後の生存率はわずか20%です。
それでも山岡久乃さんが降板理由を言わなかったのは、がんを克服し女優復帰を考えていたためでした。
山岡久乃さんは72歳にして医学書や専門書を読みあさり、胆管がんについて猛勉強を開始。女優復帰を目指し、できることは全てやったと言います。しかし、そんな山岡久乃さんの思いとは裏腹に病は進行していきました。
終活
亡くなる2ヶ月前には、1日のほとんどを寝て過ごす状態に。自分の病を勉強し把握していた彼女には、もう自分の命は長くないことが分かっていました。そして終活を始めたのです。死後、誰にも迷惑をかけたくないと泰子さんや妹に頼み身辺整理を始めました。
そして亡くなる数日前、痛み止めで意識がもうろうとする中、自分の葬式に出ようとしたと言います。自分の葬儀が滞りなく行われているか確認したかったのかもしれません。
最期の言葉は「これを役所に出してきてちょうだい」というものでした。それは自らの死亡届でした。誰にも迷惑をかけず全て自分でやりとげようとしたのです。
そして1999年2月15日、午後10時2分に山岡久乃さんは亡くなりました。
山岡久乃さんの死から17年、泰子さんは今、山岡久乃さんの孫にあたる2人の子育てに奮闘中です。その子育ての時間こそ、山岡久乃さんの存在を今でも近くに感じることができる瞬間だそうです。
「爆報!THEフライデー」
この記事のコメント
泰子さんとお会いした時はまだ小学生だったか、可愛らしくて素直そうな女の子でした。
お会いして山岡さんのお話しをしたいなと思いました。