酒場でデビュー
エリック・サティーの代表作「ジムノペディ」は1888年、21歳の時の作品です。この曲が初演されたのは劇場でもコンサートホールでもなくパリの盛り場。モンマルトルの小さな酒場でした。
エリック・サティー
フランスのオンフルールに生まれたサティー、音楽との出会いは教会でした。6歳の時、教会のオルガニストから音楽の手ほどきを受けたサティーはすぐに才能をあらわし、13歳にしてパリ音楽院に入学。音楽家のエリートコースを歩み始めました。
しかし、サティーはクラシック音楽の伝統と形式に偏った教育に息苦しさを感じて逃げ出してしまいました。
そんな彼が流れついたのがモンマルトルの街でした。芸術家や詩人が集うモンマルトルの盛り場は、社会のはみ出し者をも受け入れ、気ままに楽しむ空気がありました。サティーはそんな人々との交流に夢中になりました。
酒場の店主に職業は何かと聞かれ「ジムノペディスト」と冗談交じりに答えたサティー。店主はサティーを酒場のピアニストとして迎えました。
こうして自分の居場所を見つけたサティーは、生まれ変わったように生き生きと作曲を始め「ジムノペディ」を書き上げました。モンマルトルの自由な空気は、サティーの創作のエネルギーでした。社会や音楽のルールから解き放たれ思い切り羽ばたいたこの曲は音楽家サティーの初めの一歩だったのです。
日常の音楽
「ジムノペディ」は第1番から第3番まで3つの曲からなります。この3曲はそっくりです。全ての曲が同じ速さ、同じリズムの繰り返しです。山場もなくひたすら反復の中を漂うメロディーが続きます。サティーがこの曲でしたこととは「展開しない」「終わりのみえない音楽」を作ることだったのです。
ベートーベンをはじめ古典派やロマン派の音楽が好まれた時代、サティーはそういった芸術性を追求したドラマチックな音楽に違和感を感じていました。そして、サティーは正反対の位置から音楽を見つめ、独自の全く新しい音楽の形に辿り着いたのです。
「人間の環境の中で音楽は自然に存在するべきだ」と語ったサティーは、やがて1920年にその思想を極める「家具の音楽」という曲を発表し、世間を驚かせました。音楽はコンサートホールでかしこまって聴くだけのものではなく、壁の絵や椅子と同じように人間の生活に役立つものであるというサティーの思想はやがて現在の環境音楽やBGMを生み出していきました。
「ららら♪クラシック」
サティーの「ジムノペディ」
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