宮下昌巳は今…|爆報!THEフライデー

1987年6月11日、巨人対中日の試合で日本プロ野球史上に残る伝説の事件が起こりました。

 

バッターは巨人最強の助っ人外国人ウォーレン・クロマティ。そしてピッチャーが投げた初球がクロマティの背中に。激怒したクロマティは「帽子を取って謝れ!」と言いながらマウントに突進。しかし、ピッチャーは謝ることなく歩み寄り、その結果クロマティに殴られてしまいました。

 

この大事件は翌日のスポーツ紙の一面に。そしてこの時クロマティに殴られたピッチャーが宮下昌巳(みやしたまさみ)さんです。身長186cmの長身に勝気な性格で、当時の星野ドラゴンズを支えました。

 

しかし、1991年に戦力外通告。プロ野球界から姿を消しました。

 

 

宮下昌巳は今…

あの大乱闘から29年、クロマティに殴られた宮下昌巳さんが今、どん底から一発逆転、驚きのアイディアで年商6000万円を稼いでいるという噂が。

 

宮下昌巳さんが今しているのはお米の卸売りの仕事です。しかし、お米の配達員で年商6000万円も稼げるものなのでしょうか?そこには発想の転換、驚きのアイディアがありました。

 

1991年で現役を退いた宮下昌巳さんは、吉祥寺でステーキ店を開業するも5年で閉店。その後、チラシのポスティングやスーパーの売り子などで食いつなぐも何をやってもダメでした。

 

そんな中、10年前にやむなく始めたのが当時経営状態が最悪だった父親の米問屋。ところが、宮下昌巳さんは米問屋を驚きのアイディアで立て直し大成功をおさめました。

 

宮下昌巳さんはお米さえ保管できればOKとお店をかまえることなくコンテナを借り、月に1万円と経費を極限まで削減。そして名刺にはクロマティに殴られている写真を載せています。この名刺を見せるとすんなり営業の話に入っていけるのだと言います。

 

結果、今では取引先は50軒以上。年商は6000万円となっています。

 

そんな宮下昌巳さんは今、ボランティアで中学生に野球を教えながら大切なことを伝えていると言います。それは「乱闘まがいのことになれば、とにかく帽子を取って謝りなさい、そして相手が向かってきてしまったら一目散に逃げる」ということです。

 

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あの人は今…大追跡SP

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