「禁じられた遊び」は、ギターを弾く人なら誰もが一度はトライすると言われるギター曲の定番です。それなのに、この曲は長い間作者不詳とされてきました。一体誰が作ったのでしょうか?
生みの親 名付け親 育ての親!?
1952年に公開されたフランス映画「禁じられた遊び」は、戦争で両親と愛犬を亡くした少女が、ある農家の少年と出会い、少女が犬の墓を作りたいと願い出たことをきっかけに2人は墓作りの遊びを始めるという物語です。映画のストーリーに哀愁漂うメロディーが重なり、多くの観客の涙を誘いました。
この映画でギターの演奏をしたのは、後にギター界の巨匠となるナルシソ・イエペス。当時はまだ無名の新人でした。
「禁じられた遊び」の楽譜には作者不詳と書かれています。実は「禁じられた遊び」は1941年に公開されたアメリカ映画「血と砂」ですでに使われていました。映画でギターを弾いたのは当時の人気ギタリスト、スペインのビセンテ・ゴメス。彼はこの曲の楽譜を書き、「愛のロマンス」と題して映画出演の前の年に出版。「禁じられた遊び」が別名「愛のロマンス」と言われるのはこのためです。
作曲者はビセンテ・ゴメスかと思われますが違うのです。スペインの著名なギタリストであるダニエル・フォルテアが1931年に「作者不詳のロマンス」と題して出版していたのです。しかし、作者はダニエル・フォルテアではありません。
スペインの著名なギタリストであるアントニオ・ルビーラが、1913年に「エチュード(練習曲)」として出版。この1913年に出版された曲が「禁じられた遊び」の原曲とされています。
この曲は、ギターの歴史にその名を残す巨匠たちによって受け継がれてきた名旋律なのです。「禁じられた遊び」は生みの親、名付け親、育ての親によって世に知られるようになった名曲と言えるかもしれません。
世界に躍り出た苦学生
ナルシソ・イエペスは、スペイン南部の町ロルカの貧しい農家に生まれました。4歳からギターを始めますが、様々な奏法はほとんど独学でマスターしたと言われています。13歳でバレンシア音楽院に入学し本格的な音楽教育を受けたイエペスは、20歳の時マドリードでオーケストラと共演しデビューを果たしました。
しかし、プロのギタリストとしては無名の存在でした。名かず飛ばずのイエペスは夢を求めて24歳でパリに留学。街のカフェでギターの演奏をして日銭を稼いでいましたが、生活はジリ貧。ギタリストとしての芽はなかなか出ないものの、彼の演奏を聴きに来る客は日増しに増えていきました。そんなある日、思いがけない依頼が舞い込みました。
この時期、映画「禁じられた遊び」の制作を進めていたフランス映画界の巨匠ルネ・クレマン監督は、ギターの独奏によるテーマ音楽を考えていました。監督が打診したのが当時のクラシックギター界の大スター、アンドレス・セゴビア。しかし、彼のギャラがあまりに高額だったため断念せざるおえませんでした。
そんな中、監督は人づてにイエペスの噂を耳にしました。
「パリのカフェにすごいギタリストがいるらしい。」
切羽詰まっていたクレマン監督は、滞在先のホテルにイエペスを招き「カフェで弾いている曲を全て弾いてほしい」と切り出しました。その時イエペスが弾いたのがあの曲だったのです。その美しい旋律と歌心溢れるテクニックに、クレマン監督は衝撃を受けました。そして、映画のテーマ曲としイエペスを演奏者として起用することにしたのです。
映画の公開と共にこの曲は大ヒット。無名の苦学生だったイエペスは、これを機に世界の表舞台へと躍り出たのです。
民謡から古典、現代音楽まで幅広いジャンルの音楽を類まれなテクニックで弾きこなしたイエペスは、クラシックギターの可能性と魅力を世界中の人たちに伝えていったのです。
「ららら♪クラシック」
名もなき作曲家の名もなき名曲「禁じられた遊び」
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