田中久重~天才発明家からくり儀右衛門~|歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」で人生なんてったってサプライズ~天才発明家からくり儀右衛門~が放送されました。

 

からくり儀右衛門 誕生!

江戸時代後期、田中久重(たなかひさしげ)は久留米のべっ甲細工師の長男として生まれました。幼い頃から父の技を見て育った田中久重は人一倍手先が器用な少年だったと言われています。ところが寺子屋では典型的ないじめられっ子で、周りの子供たちにはいつも悪戯されていました。すずり箱にカエルをしかけられることも。そんなある日、近所にからくり興行がやってきました。当時からくり興行は庶民に大人気の娯楽でした。夢中になってからくり人形を見つめるうちに、田中久重は一つのアイディアを思いつきました。そして悪戯されていたすずり箱を鍵がかかるように改造したのです。これにより田中久重はいじめられっ子から人気者に。それから田中久重は自宅の一室を細工場にしからくりに熱中するようになりました。

 

20歳を過ぎた頃、田中久重は幼い頃から抱いていた夢を実現しました。それは地元の神社でのからくり興行デビューです。ところが家業を手伝わずからくりばかりにかまけている田中久重に父は激怒。しかし、田中久重は家業を捨て、からくりの道で生きていくことを決意。そして26歳の時に全国を巡るからくり興行に出発しました。田中久重が向かったのは人の集まる京都や大阪でした。評判が評判を呼び大阪での興行は大成功。大儲けしました。大阪での大成功の後、田中久重は江戸へ。しかし連日の大雨にたたられ江戸での興行は失敗。一文無しとなりススキをかんで飢えをしのいだと言います。

 

からくりで悩み解決!?

京都にやっていた田中久重は自分の店をオープンさせました。店の名前は「機巧堂(からくりどう)」人々の悩みをカラクリで解決するお店でした。夜でも仕事ができるような灯りが欲しいという悩みに対し、田中久重が作り出したのが無尽灯(むじんとう)です。今でいうオイルランプです。下の部分は燃料の油を入れておくタンク。ここから空気圧で一気に灯芯まで油を送る仕組みです。明るさはろうそくの約10倍。ガラスのカバーつきで風にも強い画期的な照明でした。無尽灯は京都や大阪の商人たちを中心に大ヒットとなりました。また漬物石が重くて大変という悩みに対して田中久重が作りだしたのが漬物石昇降機。ネジ状の歯車を使い重い石を小さい力で上げ下げできます。さらに消火器を改良したいという悩みに対して作り出したのが雲龍水(うんりゅうすい)です。左右の取っ手を交互に押して空気圧を高め、水を勢いよく噴出。降水距離は9m以上にもなりました。

 

田中久重の最高傑作と言われるのが「万年時計」です。53歳の時の作品です。上部には太陽や月の動きを示す天球儀が。側面には旧暦や二十四節気、十干十二支、七曜など時に関する様々な表示がずらり。この全てが連動し1年間自動で動くと言います。時計の中には1000を超える部品が組み合わさっています。その複雑なからくりは現代の技術者をも驚嘆させるものでした。どうやってこの時計は作られたのでしょうか?

 

究極のからくり 万年時計に挑む

田中久重は様々なからくりを作る一方、その開発費を稼ぐために時計の修理を請け負っていました。当時の時計はゼンマイと歯車で動く複雑なからくりで、腕のある職人にしか修理できないものでした。田中久重のもとには時計についての悩み相談も沢山寄せられました。江戸時代の日本では今とは違う時の数え方をしていました。まず昼と夜をそれぞれ6等分し、その1つを一刻と定めます。しかし季節によって日の長さは変わります。夏は日が長いため昼の一刻は長く、冬は日が短いため昼の一刻は短くなります。これを不定時法と言います。当時の時計はみな不定時法に合わせたものでした。そのため月に2回は調整が必要でした。そこで田中久重は1年中自分で調整する時計を作ることにしました。そして開発を始めてから3年、万年時計が完成しました。

 

万年時計の完成から2年後、黒船が来航しました。蒸気の力で動く船に田中久重は衝撃を受けました。蒸気機関の開発に挑み小型の汽車を作り上げました。時代が明治になると田中久重は77歳にして東京銀座に工場(のちの東芝)を開きました。当時、最先端の技術であった電気に注目し、遠く離れた場所に信号を送る電信機や電話機を開発しました。




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