18世紀のフランス王妃マリー・アントワネットの言葉は、歴史に残る炎上の名言だと言われています。
マリー・アントワネット
パンがなければ…
フランス革命のさなか、当時のパリ市民は殺気立っていました。天候不順で小麦が不作になり、パンの値段が高騰していたからです。庶民の不満は爆発寸前でした。
そんな中、ある本にこう書かれました。
農民には食べるパンがないと聞かされたある王妃はパンがなければブリオッシュを食べれば良いと言った。
ブリオッシュとは卵や砂糖をたっぷり使ったお菓子のようなもので、パンよりもずっと高価でした。
この発言はたちまち大炎上。これがフランス革命の火種の一つになったとも言われています。
デマだった!
しかし、この言葉をマリー・アントワネットが言ったというのは全くのデマでした。
もともとこの発言は、当時多くの人々に読まれていた思想家ジャン・ジャック・ルソーの自伝「告白」によって広まったものでした。
私はワインを飲むと私はパンをつまみたくなる。しかし、どうにもそれが見つからないことがあった。私はその時ある王妃が農民がパンがなくて困っていると聞かされそれならブリオッシュを食べれば良いのにと語ったということを思い出した。私はブリオッシュをつまみにワインを飲み、とても美味しかった。
(ルソー「告白」より)
ここで問題になるのは「ある王妃」という記述です。ルソーの「告白」が書かれたのはフランス革命の約30年前。その頃、マリー・アントワネットは王妃どころか物心つく前の少女でした。ルソーは全く別人のことを書いていたのです。
しかし、国民たちはマリー・アントワネットが贅沢三昧な暮らしにうつつを抜かす「ある王妃」だと思い込んでしまったのです。当時のマリー・アントワネットは「恥知らずな浮気女」「自由を踏みにじる雌豹」「赤字夫人」など中傷にあふれていました。
マリー・アントワネットは誠実な女性だった!?
近年の研究で、実際のマリー・アントワネットは誠実な女性だったことが明らかになっています。オーストリア国立子文書館には、マリー・アントワネットが実家の母マリア・テレジアにあてた手紙が残されています。
不幸な暮らしをしながら私たちに尽くしてくれる人々を見たならば、彼らの幸せのためにこれまで以上に身を粉にして働くのが私のつとめだというのは当然のことです。
(マリー・アントワネットの手紙より)
マリー・アントワネットは、豪華な衣装を売り払い宮廷儀式を簡素化するなどの改革を進めていました。
しかし、ひとたび民衆の間に燃え広がった憎しみの炎を消す術はありませんでした。マリー・アントワネットは、国民の手で裁判にかけられ死刑判決を受け、処刑の瞬間を一目見ようとつめかけた群衆の前で断頭台の露と消えました。
命を落とす数時間前、義理の妹にあてて書いた最後の手紙が残されています。
死刑は罪を犯した人間にとっては恥ずべきものです。しかし私には何の罪もありません。ですから臆することなく堂々と刑を受けようと思います。
(マリー・アントワネットの手紙より)
「パンがなければブリオッシュを食べれば良い」という言葉は、革命の熱狂が生んだ幻の名言だったのです。
「歴史秘話ヒストリア」
あの名言にはウラがある!?
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結果、発言したのは誰かしら?