ヒエロニムス・ボス「干草車」|美の巨人たち

テレビ東京の「美の巨人たち」でヒエロニムス・ボスの「干草車」について放送されました。今から約500年前、室町時代に描かれたという「百鬼夜行」と題された絵巻物があります。お釜や鍋など台所道具が変化したしような妖怪や琵琶や琴など楽器のおばけたちが描かれています。時は戦国時代が迫っているころ。その不安と混乱の中で一風変わった怪物たちが夜の町を跋扈しているのです。この絵巻物と時を同じくして遠く離れたヨーロッパでも妖怪や怪物たちが蠢く奇妙な作品が誕生していました。作者はヒエロニムス・ボス。15世紀から16世紀にかけてオランダで活躍した画家です。

 

プラド美術館で一際怪しい気配を発している作品がヒエロニムス・ボスの「干草車」です。屏風のように3枚のパネルに分割された祭壇画です。縦147cm、幅は3枚合わせると212cmあります。パネルごとに「原罪」「干草車」「地獄」とタイトルが付けられています。中央のパネル「干草車」の中心に描かれているのは荷車に山のように積まれた大量の干草です。その周りには大勢の人々が集まっています。待ちわびていたかのように抱きつく人や遠くから竿をのばして取ろうとする男たち。梯子をかけよじ登ろうとしている人もいます。農民から修道士、貴族や皇帝、教皇まで描かれています。そんな人々をよそに干草の上では上品そうなカップルが弦楽器を伴奏に歌を歌っています。傍らにはラッパを吹き鳴らす奇妙な生き物と祈りを捧げる天使の姿。驚くのは色彩の鮮やかさです。500年前に描かれたとは思えないほど発色が良いのです。さらに、その筆は繊細なタッチで人物の細部まで丁寧に描いています。ところが、楽しい場面ばかりではないのです。人が荷車に轢かれていたり、殴り合いの喧嘩をしていたり、不穏な空気が漂っています。美しさと怪しさが混在するワンダーランド。一体ヒエロニムス・ボスは何を描こうとしたのでしょうか?

 

オランダ南部の街スヘルトーヘンボスは中世の時代、織物業で栄えた商業都市でした。ヒエロニムス・ボスは1450年頃にこの街の画家の一族に生まれています。詳しい経歴はほとんど分かっていませんが熱心なキリスト教信者だったと伝えられています。「干草車」はヒエロニムス・ボスが晩年に描いたとされる祭壇画です。左のパネル「原罪」にはアダムとイヴが描かれています。神がアダムとイヴを創造するも2人はヘビの化身の誘惑にのり、禁断の知恵の身を食べてしまい、楽園から追放されてしまうのです。真ん中のパネル「干草車」にはアダムとイヴの時代からはるかに時を経た人間たちの現在の姿が描かれています。画面の中央にある巨大な干草にはどんな意味があるのでしょうか。マドリッドアウトノマ大学のイシドロ・バンゴ教授によると、干草は富を表しているそう。農民から職人、修道士たち誰もが手に入れたいと思っていると同時に彼らは心を金に支配されてしまうのです。つまり干草とは貪欲の象徴。オランダのことわざに「神は人々のために良きものを干草の山のように地上に積み上げたのに人間はみなそれを独り占めしようとする」というものがあります。貪欲に取り付かれた人々は新たな罪を犯します。争いごとを起こし人を殺めてしまうのです。干草の周りには大食、怠惰、傲慢、憤怒など様々な罪を犯す人が描かれています。さらにこの絵には様々な暗喩が隠されています。例えば干草の上にいる人々は肉欲に溺れる邪淫という罪を犯していると言います。背後にかけられた壷はまさに邪淫の象徴。また音楽に興じることも邪淫の象徴です。背後の枝にとまっている梟は異端の象徴とされています。ヒエロニムス・ボスは人間の行いを戒めるように、さり気なく暗喩をちりばめたのです。

 

干草をのせた荷車はどこへ向かうのでしょうか?先導するのは得体の知れない怪物たちです。大勢の罪深い人々を連れて彼らが向かう先は右側のパネル「地獄」です。15世紀から16世紀のオランダはまさに暗黒の時代でした。災害や疫病が次々と襲い人々は世界の終わりの前兆だと考えたのです。そんな時代に「干草車」は誕生しました。右側に描かれているのは「地獄」です。罪深き人々が最後にたどり着く場所です。一番手前で半漁人に食われているのは金にまみれた守銭奴。地面に横たわる男の体には邪淫の象徴であるカエル。怪物たちが作っているのは罪人たちの収容所です。一人一人の悪行を積み上げていくようにレンガを重ねています。

 

実は「干草車」のパネルは閉じると新たな絵が現れます。そこには年老いた旅人の姿が描かれています。絵のタイトルは「人生の道」です。旅人が歩んできた道の途中には盗賊に襲われる別の旅人の姿が。さらには若い男女が音楽に合わせて踊っています。年老いた男は人生の途中で様々な罪の世界を見てきました。盗賊や人殺し、音楽を楽しむ人々は邪淫を表しています。旅人は老人です。もうすぐ人生を全うしようと、人生を振り返っているところなのです。一説にはこの旅人は様々な誘惑に打ち勝ったキリスト教信者だと言われています。人間は罪深い生き物なので、ヒエロニムス・ボスは慎重に注意深く生きていかないと人生の道を踏み外してしまうと伝えたかったのかもしれません。彼自身もつらい時代の中で罪を犯しそうになりながらも必死に踏みとどまっていたのかもしれません。




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