家田荘子(いえだしょうこ)さんは、1990年代に毒舌コメンテーターとして活躍しました。
そんな彼女は今、高野山で僧侶となり厳しい修行の日々を送っています。一体何があったのでしょうか?
「極道の妻たち」が大ヒット
1984年、家田荘子さんは20代の無名美人記者と注目を浴び、週刊誌で若者のナイトライフなどを取材していました。
そんな中、山一抗争事件が勃発。この抗争に刺激された家田荘子さんは、女性目線で極道の生活を描くことを思い立ち暴力団幹部の家へ住み込み、極道の妻たちを1年半かけて取材しました。それが40万部を超えるベストセラー「極道の妻たち」です。
一躍時の人となった家田荘子さんですが、大ヒットの裏で「体を使って仕事を取った」と噂され始めました。しかし、こうした噂が飛び交った背景には彼女自身の若気の至りもありました。
勢いで結婚&スピード離婚
実は家田荘子さんは、記者として駆け出しの頃に夜の六本木で出会ったアメリカ人と勢いだけで結婚した過去があったのです。
その男性とはまともな結婚生活も送らぬままスピード離婚。若くして成功した彼女への嫉妬もあってか、連日バッシングを浴びました。
黒人男性と再婚するも…
そのせいで重度の自律神経失調症に。身も心もボロボロになった家田荘子さんが逃げ込んだのは男でした。アメリカ陸軍の黒人男性と結婚し、夫の仕事の都合でアメリカへと移住しました。
1989年に一人娘ジュリアーナを出産しましたが、夫は浪費癖がありました。
家田荘子さんは離婚を決意し、一人日本へと逃げ帰りました。夫は子供の親権と生活費と授業料を毎月36万円を2年分、その後の養育費を毎月12万円×13年分を請求してきました。
もやはアメリカの裁判所で闘う気力もなかった家田荘子さんは、夫の提示した条件に全面同意。3歳の娘を現地に残し、離婚が成立しました。
3度目の結婚も失敗
2度の離婚で痛い目を見てきた家田荘子さんでしたが、1996年に経営者の日本人男性と結婚しました。しかし、結婚後に夫の借金が発覚。家田荘子さんは男を見る目がなかったのです。
さらに、夫は愛人との間に子供を作っていることが発覚し離婚。3度目の結婚も失敗に終わりました。
その後、家田荘子さんは来る仕事を選ばずがむしゃらに働きました。自らの失敗経験をもとに悩める女性の立場でコメントしましたが、自分の言葉を発すれば発するほど虚しい気持ちになっていったと言います。
僧侶の道へ
思い悩んだ彼女は1999年、真言宗へ入門しました。「仏の教えをきちんと学ぶことで悩める女性たちを救いたい」との一心で僧侶となったのです。
2001年に高野山大学大学院に入学し修行を重ね、2007年に住職の資格を取得。水行を行うなど厳しい修行を続けています。
4度目の結婚
そんな家田荘子さんですが、実は4度目の結婚をしています。
2001年、山岳修行中に知り合ったサービス業で働く男性と結婚。関西にある自宅で夫婦生活を送りながら高野山を往来しています。
家田荘子さんは今、作家と僧侶二つの道を邁進しています。
「爆報!THEフライデー」
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