ホーン・ユキと入川保則 不倫駆け落ち結婚の壮絶な末路|爆報!THEフライデー

1970年、20歳の時に「ザ・シュークリーム」のメンバーとしてデビューしたホーン・ユキさんは、アメリカ人の父と日本人の母を持ちグラマラスなボディを武器に様々なグラビアを飾りました。

しかしザ・シュークリームはわずか3年で解散。その後ホーン・ユキさんは女優に転身しました。しかし1979年、俳優・入川保則(いりかわやすのり)さんと不倫駆け落ち結婚。マスコミや世間から批判を浴びたホーン・ユキさんは芸能界から姿を消しました。

ホーン・ユキは今…

現在64歳になったホーン・ユキさんは週に6日、朝8時~夕方5時まで工事現場のガードマンとして働いています。日給は8600円。64歳にとってはかなりの重労働です。

しかし、なぜホーン・ユキさんは華やかな芸能界から一転、ガードマンとして働いているのでしょうか?そこには不倫駆け落ち結婚の末の壮絶人生がありました。

不倫駆け落ち結婚

2人の出会いは1973年。当時すでに芸能界を引退しようと考えていたホーン・ユキさんに入川保則さんは親身に相談に乗ってくれたと言います。そんな入川保則さんに対してホーン・ユキさんは恋心を抱くように。しかし、入川保則さんには既に妻子がありました。

ところが、入川保則さんは妻と2人の娘を残しホーン・ユキさんの家に転がり込んできました。すぐに同棲を始めた2人ですが世間からは大バッシングを受けました。そして同棲から4ヶ月、駆け落ち同然で2人は結婚しました。

結婚を機に芸能界を引退しホーン・ユキさんは専業主婦に。3人の子宝にも恵まれ順風満帆な結婚生活を送っていました。

しかし、入川保則さんの俳優としての道は暗礁に乗り上げていました。もともと家族をテーマにしたドラマへの出演が多かった入川保則さんは、不倫駆け落ち結婚の影響で俳優としてのイメージがダウン。仕事は徐々に減少していました。

2人はそんなイメージを払拭するため夫婦そろってテレビ番組に出演。必死に円満ぶりをアピールしましたが、その裏で入川保則さんは心のバランスを崩していきました。仕事減少と共に友人や関係者が徐々に離れていった入川保則さんは家にいることが多くなり態度が豹変したと言います。

夫のDV…離婚

結婚15年目のある日、ホーン・ユキさんが子育てに追われていると入川保則さんが暴力を振るうようになったのです。さらに入川保則さんの許可がないと外出もできない監禁状態に。一時は離婚も考えたホーン・ユキさんですが子供たちへの影響も考え我慢する日々が続いたと言います。

そんなある日、ベランダで意識を失ったホーン・ユキさんは3階から転落。長期の入院生活を余儀なくされました。この時、ホーン・ユキさんは離婚を決意。結婚25年目でついに2人は離婚しました。

女手一つで3人の子供を育てるためホーン・ユキさんが選んだ職業は工事現場のガードマンでした。

一方、入川保則さんは仕事もほとんどなく貯金も底をつき神奈川県相模原市にある六畳一間のアパートで一人暮らしをしていました。そんな入川保則さんは末期の大腸がんに。全身にがんが転移していたため手術もできない状態で静かに残された日々を過ごすしかありませんでした。そして2011年12月24日に入川保則さんは亡くなりました。

現在、3人の子供たちも立派な大人に成長しホーン・ユキさんは2人の孫にも囲まれ前を向いて生きています。そしてガードマンとして働きながら読み語り歌のライブという新たな夢にも挑戦しています。

「爆報!THEフライデー」
不倫駆け落ち結婚の壮絶な末路

この記事のコメント