トーニャ・ハーディングは1991年、全米選手権に出場しトリプルアクセルを決め優勝。国民はオリンピックでの金メダルを期待しました。
もともと貧しい家庭で育ったトーニャ・ハーディングは、お金の掛からないショッピングモールのリンクでレッスンを続け一攫千金を狙っていました。
ライバル ナンシー・ケリガン
しかし、夢が現実になろうとしていた矢先、強力なライバルが現れました。それはナンシー・ケリガン。1993年に全米選手権で初優勝を飾ると、その美貌で数々のCMに出演する人気者に。当時、彼女の広告収入は5億円以上とも言われました。
一方、トーニャ・ハーディングはスポンサー受けが悪かったのか契約の話はゼロ。これがトーニャ・ハーディングの心に嫉妬の感情を植えつけました。
ナンシー・ケリガン襲撃事件
オリンピックの代表選考会を2日後に控えた1994年1月6日、ナンシー・ケリガン襲撃事件が起こりました。
その日、最終調整日だったケリガンは絶好調のまま練習を終え、控え室へと一人で向かいました。しかし、男に鉄パイプのようなもので右足を強打されたのです。右足を負傷した彼女は、オリンピックの選考会をかねた全米選手権の欠場を余儀なくされました。
その大会でトーニャ・ハーディングは優勝し、オリンピックの出場権を獲得しました。
容疑者はトーニャ・ハーディングの元夫
しかし事件から2週間後、容疑者が逮捕されました。その男はトーニャ・ハーディングと離婚したばかりの元夫ジョフ・ギルーリー。トーニャ・ハーディングは犯行を指示したのではないかと疑われ報道が過熱。そしてついにFBIまでもが調査に乗り出す事態に。
スケート協会は、トーニャ・ハーディングのオリンピック出場権剥奪に向けて動き始めました。しかし、彼女は会見を開き、オリンピック出場の権利を主張しました。
その一方でナンシー・ケリガンは驚異的なスピードで怪我から回復し、特例としてアメリカ代表に選出されました。
因縁の対決
こうして迎えた1994年のリレハンメル冬季五輪。因縁の二人の氷上決戦に全世界が注目しました。ナンシー・ケリガンは、怪我の影響を全く感じさせない華麗な滑りを披露し高得点を叩き出しました。
一方、トーニャ・ハーディングは得意の三回転半が一回転に。すると競技中にも関わらず演技を中断。泣きながらリンクをおり、審判団の元へ。「靴ひもが切れた」と涙の訴えをし競技のやり直しを要求したのです。
30分後、再スタートが認められましたがナンシー・ケリガンは銀メダル、トーニャ・ハーディングは8位でした。
全世界が注目した因縁の対決は、トーニャ・ハーディングの惨敗で幕を閉じました。
有罪に…スケート協会からも永久追放
大会終了後、ケリガン襲撃事件で逮捕された元夫が「計画したのはハーディングだ」と言い出しました。それに対しハーディングは、元夫が勝手にやったと主張。
しかし事件後、証拠をもみ消そうとしていた事実を突き止められトーニャ・ハーディングは、捜査妨害の罪で有罪となりました。そして彼女はスケート協会からの永久追放を命じられました。
また3年間の保護観察、500時間の社会奉仕活動、罰金1600万円の支払いを命じられました。そして弁護士料など一連の裁判でかかった費用は4000万円にもなりました。そんなお金は持っていなかったため、借金として彼女の身にふりかかりました。
女子プロボクサー?ハリウッド女優?
世間からも悪女のレッテルをはられたトーニャ・ハーディングに唯一きたオファーが女子プロボクサー。お金のためリングに上がるも活躍できず1年で引退。
その後、ハリウッド女優に転身を試みるも大根足の大根芝居と揶揄され、3作で声が掛からなくなりました。
そして彼女は時給500円の除草作業の仕事に。また鉄工所など肉体労働も行いました。
トーニャ・ハーディングは今…
そんなトーニャ・ハーディングは、2010年にカラオケバーで逆ナンしたジョセフと結婚。2011年には40歳にして出産。一児の母親になりました。
今は子供のために最高の母になる事が目標だと言います。ちなみに現在の体重は64kgだそうで、心も体もすっかり丸くなっているようです。
「爆報!THEフライデー」
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