松尾和子の死の真相「息子の逮捕&借金7億円&謎の転落死」|爆報!THEフライデー

1958年、ジャズドラマーと結婚した松尾和子(まつおかずこ)さんは1年後には「東京ナイトクラブ」で歌手デビュー。1968年には一人息子が誕生し幸せの絶頂でした。

しかし1966年、わずか8年で夫と離婚。この時、シングルマザーとして息子に「母子家庭でもこの子に不憫な思いはさせない」と誓いを立てたと言います。しかし、この母の愛が後に松尾和子さんの人生を転落させることになりました。

息子を養うため仕事を増やした松尾和子さんは、歌だけでなくバラエティ番組への出演もはじめました。しかし、それは同時に子供との時間を奪う結果に。そして小学生だった息子に松尾和子さんが選んだ愛の形はお金を渡すこと。出勤のたびに息子に1万円を渡していたのです。そして、息子が欲しがる物は全て買い与えました。

異常な親子関係

息子が高校生になる頃には2人は異常な親子関係になっていました。息子はタバコを吸い始め、普通の親なら厳しく叱るはずなのに松尾和子さんは進んで灰皿を用意。

さらに、息子が暴走族に入り家にも帰らず夜遊びを繰り返していると知ると、息子がいるたまり場に足を運びやめるよう説得するどころか、一緒に暴走。高校を卒業し成人した息子は毎晩のように高級クラブで豪遊。支払いは全て松尾和子さんのクレジットカードで、請求額は月に500万円にもなりました。

さらに、息子はろくに仕事の経験もないままクラブ経営、カラオケのリースなど事業に乗り出しました。開店資金を支払ったのは全て松尾和子さん。その総額は8000万円にもなりました。しかし、息子の事業はことごとく失敗し倒産を繰り返した結果、雪だるま式に負債が増え松尾和子さんにのしかかりました。

さらに不幸は重なり、松尾和子さんが経営していたブティックも経営破綻。松尾和子さんの負債はわずか2年でふくれあがり7億4000万円にもなっていました。その結果、4億円の自宅を抵当に入れ、賃貸住宅での生活を余儀なくされました。

しかし、松尾和子さんの転落人生はこれだけでは終わりませんでした。

息子が逮捕

1991年11月、息子が覚せい剤取締法違反で逮捕されました。しかも全国指名手配され10日間逃亡した上での逮捕でした。松尾和子さんは息子を甘やかしすぎた自分を詫び頭を下げました。

息子に下されたのは懲役2年の実刑判決。マスコミは松尾和子さんに対し、息子への過保護ぶりを書きたて大バッシングを始めました。そこには「高3の息子と一緒に入浴」「一緒にポルノ、バイクで暴走」「芸能界の誤母」などと書かれていました。

その結果、松尾和子さんはお昼のワイドショーなど全ての仕事を干され収入が激減。毎日のようにマスコミから追い回され体重が1ヶ月で7kgも減少しました。

全てを失った彼女は精神が不安定となり酒と睡眠薬が手放せなくなりました。そして息子の逮捕から1年後の1992年9月25日、自宅の階段から転落し亡くなりました。その死は自殺ではないかと報道されました。しかし、死の真相は報道とは全く違ったものでした。

死の真相

松尾和子さんが亡くなる寸前までよりそった弟子の松坂留衣さんによると、松尾和子さんは獄中の息子あてに毎日手紙を書いていたと言います。その内容は息子への懺悔と叱咤でした。そして死の前日に書いた手紙にはこう書かれていました。

高円寺に30年くらい前の話ですが、お墓を買いました。小さくても買っといて良かったとつくづく思います。松尾家は皆高円寺のお墓に入るのですからね。体に気をつけて頑張って下さい。では又ね。母より

当時の報道によると松尾和子さんは、この手紙を書いた数時間後に階段から足を滑らせ転落。死因は頭を強打したことによる硬膜下血腫。見方によっては自殺とも受け取られますが、手紙の最後につづられていた「又ね」と、ある遺品が彼女の死が自殺ではないことを物語っています。

それは松尾和子さんが死の数週間前に書き上げた。タイトルは「かわいいひと」その最後を松尾和子さんは「強く生きます」とつづっています。松尾和子さんは息子の更生を信じ、息子の罪を受け入れ、共に前を向いて生きていくことを決意していたのです。

息子は出所後すぐに松尾和子さんのお墓を訪れ、その後も命日には毎年お墓を訪れ、母への感謝と懺悔、自らの更生を誓い続けていたと言います。しかし、2011年に息子は病死し、現在は松尾家の墓で母と共にやすらかに眠っています。

「爆報!THEフライデー」

この記事のコメント

  1. 峠の地蔵 より:

    芸能界の典型的定番の転落コース、子供には旅という他人の飯を食はせるという苦労が必要である。

  2. 強竜・竜魂・原点回帰 より:

    なんとも切ない