母の歌声は希望の光
「サマータイム」はアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンの歌劇「ポーギーとベス」の中で歌われるアリアです。
舞台は1930年代のアメリカ南部チャールストンの海辺。厳しい生活を強いられる黒人たちが暮らす場所です。その日常は酒と暴力、そして麻薬に満ちた荒んだもの。物語はそんな社会の底辺で出会った一組の男女ポーギーとベスの悲しい恋を描いています。
第1幕、けだるい夏の夜、男たちが賭博を楽しんでいると赤ん坊を抱いた一人の女が現れ子守歌を歌います。貧しくとも我が子の幸せな未来を思い描く母。歌に込められているのは希望です。
悲惨な境遇に射し込む一筋の光のような子守歌が「サマータイム」なのです。「サマータイム」は物語の中で繰り返し歌われます。
ハーレムの魂でかなえた夢
ガーシュウィンは1898年、アメリカのニューヨークに生まれました。12歳の時、兄のために買ったピアノに興味を示し、瞬く間に弾き方を覚えたと言います。
そんな彼がとりわけ興味をしめしたのが、当時流行していたアメリカのポピュラー音楽。家の近くには多くの黒人が暮らす街ハーレムがあり、著名なミュージシャンたちがラグタイムやジャズを演奏していました。ガーシュウィンはこうした場所に入り浸り、黒人たちの音楽を学んでいったのです。
作曲家としてデビューしたガーシュウィンは、ミュージカルやレヴューとヒットソングを次々と発表。ポピュラー音楽の作曲家として注目を集めました。しかし、ガーシュウィンは満たされてはいませでした。オペラの作曲に興味を持ち始めていたのです。
そんなガーシュウィンは23歳で初めてのオペラ「ブルー・マンデー」を発表。ハーレムが舞台で慣れ親しんだ黒人音楽をベースにした恋物語でしたが、結果は大失敗。批評家から酷評されました。
黒塗り役者による前代未聞の見るに耐えないバカげた芝居だ
繋がりのない歌が続き、ドラマ性に欠けるのが原因でした。ガーシュウィンは、オペラを作曲するための力が足りないと思い知らされたのです。
悔しさを振り払うかのように和声や管弦楽を学び直したガーシュウィン。ピアノ協奏曲などオーケストラを伴った作品を発表し、徐々に評価を上げていきました。
そして一冊の本と運命的な出会いを果たしました。デュボース・ヘイワードの小説「ポーギー」です。しいたげられた黒人社会の現実を描くドラマチックな物語に強く引きこまれました。かっこうの題材を得てガーシュウィンはアメリカ社会を写し出したオペラを作ろうと再び夢に挑んだのです。
「ブルー・マンデー」の失敗から13年、歌劇「ポーギーとベス」はボストンでの初演を経て、ニューヨークで124回の連続公演を達成。アメリカを代表するオペラとして世界へ羽ばたいていったのです。
「ららら♪クラシック」
ガーシュウィンの「サマータイム」
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