「ヴィラ・メディチの庭園」は縦44cm、横38cmの油彩画です。鬱蒼とした木立の緑が画面の上部を覆っています。その隙間から洩れる光は夏の昼下がりの日差しのようです。主人らしき人物に歩み寄ろうとしているのは手入れをしていた庭師です。
ベラスケスが生きた時代、風景画を描くというのは極めて稀なことだったと言います。「ヴィラ・メディチの庭園」は、世界で初めて屋外の光の元で描かれた油絵の風景画です。なぜベラスケスは風景画を描いたのでしょうか?
ローマにあるかつてのメディチ家の別荘には「ヴィラ・メディチの庭園」の舞台が今もそのまま残されています。スペイン国王の画家だったベラスケスは、どうしてイタリアに行ったのでしょうか?
国王フェリペ4世にその腕を見込まれたベラスケスは、24歳で国王の画家となりました。さらに、宮殿の要職を次々と与えられました。最終的には王宮配室長という最高の役職に就任し、亡くなるまで宮廷画家と国王の家臣という2つの仕事に忙殺された生涯を送りました。
イタリアへ
ベラスケスは国王の許可を得て、30歳の時と50歳の時に2度イタリアに出掛けています。ローマでの逗留先となったのがメディチ家の別荘。ベラスケスは1度目のイタリア旅行のさい、2ヶ月間ヴィラ・メディチに滞在したと言われています。
イタリアでは自由な時間があり、絵の勉強や制作に没頭することができました。そんな自由な環境があったからこそ「ヴィラ・メディチの庭園」のような実験的な作品を描こうとしたのです。そして「ヴィラ・メディチの庭園」では革新的な技法に挑んでいると言われています。
革新的な技法
ベラスケスは、まず薄い絵具で大枠を塗り、その上に濃い絵具を置いていきました。ほとんど輪郭線は使っていません。絵具をたっぷり含んだ筆を使い短いタッチでキャンバスに走らせるように描いています。最初に濃い色、その上に薄い色を重ねていきます。
ベラスケスはこの筆使いで光の明暗や空気の動きまでも表現しています。これは19世紀のフランスの印象派と同じ技法です。驚くことにベラスケスは彼らより200年も早く革新的な技法を編み出していたのです。
ベラスケスは、それまでの常識だった線による輪郭表現や彫刻的な行間の表現を全て捨て去っています。鬱蒼と生い茂る葉の隙間から降り注ぐ木漏れ日、建物の壁面に当たる日差しの陰影、あらゆる物を色彩の変化に置き換え素早い筆の動きで刻々と変化する大気と光に迫ったのです。
2枚の風景画
ベラスケスはローマのメディチ家の別荘で、もう一枚風景画を残しています。描いた場所はグロッタと呼ばれるアーチ型の建物の前です。それが「ヴィラ・メディチの庭園(夕暮れ)」です。
建物の前には帽子を被った2人の男。右手の古代の彫像が濃い影を落としています。建物の欄干には身を乗り出して洗濯物を取り込んでいる男。
ベラスケスはなぜ2枚の風景画を描いたのでしょうか?
「ヴィラ・メディチの庭園」は夏の昼下がりの一瞬をカメラで写すように素早いタッチで描いています。もう一枚の「ヴィラ・メディチの庭園(夕暮れ)」は柔らかな筆使いで描かれた一日の終わりの穏やかな風景。糸杉の木立が豊かな色合いを蓄え、日の翳った空に伸びています。
同じ庭園なのに描き方が違うのです。ベラスケスは光を描くことに強い興味を持っていたため、時間によって変わる光や空気感を描き分けようとしたのだと考えられています。
「美の巨人たち」
ディエゴ・ベラスケス「ヴィラ・メディチの庭園」
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