1990年代、ID野球で数々の名選手を育ててきた野村克也(のむらかつや)さん。しかし、独特な指導法であるがゆえ、選手との間にしばしばトラブルが起こることも。
そんな中、野村監督との人間関係で19年にわたりトラウマを抱えているのが大野雄次(おおのゆうじ)さんです。大野雄次は球界きっての代打の切り札として活躍し、最高年俸3800万円を稼ぎました。
しかし、1998年に37歳で現役を引退すると表舞台から姿を消しました。
現在56歳となった大野雄次さんは現役時代の面影はあるものの、すっかりおじさんに。うなぎ屋さんに転身しています。しかし、一体なぜ人気プロ野球選手がうなぎ屋さんに転身したのでしょうか?そこには恩師・野村監督との忘れられない因縁がありました。
野村監督との因縁
1993年、大野雄次さんは巨人を戦力外通告されましたが、野村監督のおかげで代打の切り札として大復活。1995年の日本シリーズでは、勝利を決定づける見事なホームランでヤクルトを日本一に導きました。
しかし、1998年に引退を決意。コーチとして球界に残れる道はないか模索していました。
そんな時、ヤクルトを去り阪神に移ることが決まった野村監督へ一通の手紙を出しました。しかし、待てども待てども返事はありませんでした。大野雄次さんはコーチを諦め、失意のなか野球界を去りました。そんな彼に待っていたのはどん底の無収入生活でした。
うなぎ屋さんに転身
当時3人の子供と妻がいた大野雄次さんは、家族を養うため知り合いのうなぎ屋さんに弟子入り。引退直前、年俸2800万円ももらっていた大野雄次さんですが、見習で入ったため給料はゼロ。降りかかってきた多額の税金に苦しみました。
さらに、引退報道を見た銀行が家のローンをストップ。親や親戚に頭を下げ、何とかお金をかきあつめました。大野雄次さんは野村監督への悔しさをバネに、1000万円の借金をし自らのお店をオープン。早朝の仕込みから閉店まで11時間働きました。この生活を17年間続けた結果、今では田町のサラリーマンで満席の人気店に。
しかし、大野雄次さんにはいまだに心に引っ掛かっていることがあります。それは、人生をかけた手紙になぜ返事をくれなかったのか、野村監督へのわだかまりです。
因縁の再会
番組では大野雄次さんと野村監督の19年ぶりの因縁の再会が実現。
そして、手紙は届いていなかったという衝撃の事実が発覚。大野雄次さんは予想だにしない真相に絶句していました。
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