大原麗子の孤独死の真実 子宮外妊娠&整形手術失敗&躁うつ病|人生の正解TV

大原麗子(おおはられいこ)さんは女優デビュー4年目の時、渡瀬恒彦(わたせつねひこ)さんに一目惚れ。2人はすぐに恋仲になりました。

1970年「三匹の牝蜂」で2人は初共演。そして結婚しました。

子宮外妊娠

2人はごく普通の生活を望んでいましたが、大原麗子さんは子宮外妊娠。本来、子宮に出来るはずの子供が左の卵管に出来てしまったのです。心の痛みを癒やしてくれたのは渡瀬恒彦さんの愛でした。

結婚で新たな魅力を増した大原麗子さんに仕事のオファーが殺到しました。しかし、女優として脂の乗り始めた結婚3年目。渡瀬恒彦さんは京都でシリーズものの撮影が始まるため、一緒に来て欲しいと言いました。東京に残り女優を続けるか京都に行って家庭に入るか大原麗子さんは葛藤しました。

離婚

悩んだ末、大原麗子さんが出した結論は女優を続けることでした。

京都と東京、2年に及ぶ別居生活により夫婦の溝は徐々に深まっていき結婚5年目に離婚。2人は俳優と女優というそれぞれの道を選びました。

トップ女優へ

大原麗子さんはその悲しみを振り払うように演技の世界にのめり込み、一躍トップ女優へとのぼりつめました。役が決まるとその時代背景や人物像を徹底的に調べ上げ、全てを自分の頭にたたきこんでから演技にのぞむという強いこだわりを持っていました。

さらに、不慣れな役にも果敢に挑むようになりましたが、だからこそ納得がいかないセリフは言いたくないと言うようなワガママなところもあったそうです。

女優・大原麗子という存在は自分の中でも大きなプレッシャーとなっていきました。可憐で美しく、それが彼女に求められてきた女優像でした。年齢を重ねていっても大原麗子さんはそのイメージにこだわりました。

整形手術

50歳を超えた大原麗子さんに主役のオファーは激減。どんなに心は若くても肉体は衰えていきます。

年老いていく恐怖は大原麗子さんを整形手術へと走らせました。右目を二重にする手術を受けるも失敗。顔が腫れあがり決まっていた主演映画も降板。これを機に仕事はほとんどなくなりましたが、主役にこだわり続け仕事を断り、その結果貯えたお金も底をつきました。

闘病

2008年には結婚時代に発症したギランバレー症候群が再発。運動神経が麻痺してしまうこの病は大原麗子さんから体の自由までも奪ってしまいました。

やがて、大原麗子さんは躁うつ病を患い複数の薬を服用するようになりました。寂しさをうめる長電話は周囲から疎まれました。

そして2009年8月、大原麗子さんは寝室で息を引き取りました。不整脈による脳内出血が原因でした。死後3日経っての発見でした。

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