四代目・桂三木助さんの父である三代目・桂三木助さんは彼が3歳の時に亡くなりました。そのため子供の頃から跡継ぎとして期待されていました。
1997年、当時20歳だった四代目・桂三木助さんは立教大学に通う学生で落語家を継ぐ気などない様子でした。すると、姉に父の跡継ぎを作る為お見合いの話が舞い込んできたのです。姉は桂三木助の名を継ぐため若手落語家との結婚を決意しました。
ところが、結婚式の2日前に桂三木助さんは突然落語の世界へ入ると言い出しました。着物が定番の落語界でイタリアンファッションに身を包み修行中の身にも関わらず高級外車を乗り回し、夜は六本木のディスコへ通うという落語家とは思えぬ型破りな生活を始めました。彼は偉大な父をコピーするのではなく時代に合ったオシャレで新しい落語家を目指しました。
その後も、当時の落語界ではありえないドラマや映画への出演など型破りな挑戦をしていき、いつしか落語界の新人類と呼ばれるように。
しかし、28歳の時、偉大な父の名を受け継ぐと跡取りであるがゆえの宿命が始まりました。バッシングです。「落語も役者も中途半端」「父親が凄いから売れただけ」などの言葉が彼に向けられました。
そんな声を聞き続けた四代目・桂三木助さんは毎晩眠れずビールを3リットルがぶ飲みし睡眠薬を摂取。そんな日々が3年続き、ついに身体が悲鳴を上げました。重度の胃潰瘍をわずらった四代目・桂三木助さんは胃の4分の3を摘出。さらに、1999年に肺炎と胸膜炎を併発。2000年には腸閉塞で入院。度重なる体調不良で落語家の命とも言える声が思うように出せなくなってしまいました。
そして精神が崩壊しうつ状態に。自殺の1ヶ月前には12月の夜道をコートを脱ぎ裸足で10時間以上も徘徊。そして自宅近くで保護されるという奇行をスクープされ、マスコミは薬物疑惑とセンセーショナルに報じました。
そして2001年1月3日、四代目・桂三木助さんは自ら命を絶ちました。名家の跡継ぎであるがゆえに、偉大なる父の呪縛と闘いこの世を去った四代目・桂三木助さん。しかし、その呪縛は今も続いています。
四代目・桂三木助さんの死から一年後、姉の息子が落語家になりたいと言い出しました。マネージャーとして弟を支えるかたわら一人息子を育ててきたお姉さんは自分の息子だけは名家の呪縛を味あわせたくないと反対しました。しかし、息子は反対を押し切って2003年に落語家の道へ。現在、息子は桂三木男として二ツ目。あと一つ昇進すれば三代目、四代目と並ぶ真打となります。
彼が落語の道を志したのには驚きの理由がありました。実は彼は四代目・桂三木助さんの遺体発見現場に居合わせていました。そして、叔父の亡骸を前に「叔父はどんなことを考えていたのだろう?叔父が生きている頃には見られなかった姿を少しでも感じたい」と思ったそうです。そして祖父と叔父が残してくれた桂三木助の名を継ぎたいと思ったと言います。
五代目へと受け継がれていく桂三木助の名前。しかし、そこにあるのは呪縛ではなく応援する母の姿と希望に満ち溢れた息子の笑顔です。
「爆報!THEフライデー」
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