三浦洋一の残された家族は今…|爆報!THEフライデー

1980年に西田敏行さん主演のドラマ「池中玄太80キロ」で三浦洋一(みうらよういち)さんは玄太のライバルで良き同僚のカメラマン前川秀也役で大ブレイク。さらに、ドラマ「七人の刑事」で演じた北川刑事役の髪型リーゼントは三浦洋一さんの代名詞に。男気ある硬派な俳優としてスターの仲間入りを果たしました。

しかし、2000年に食道がんのため他界。ところが、三浦洋一さんの死後、彼には借金が8000万円もあったため妻・真理子さん(57歳)は東京の家を手放し実家の青森に戻り、現在は洋食店のパートをし生計を立てていると言います。

出会い

三浦洋一さんと真理子さんの出会いは1993年。バツイチで子供がいた真理子さんは銀座のクラブでホステスとして働いていました。その店に番組の打ち上げで訪れた三浦洋一さん。当時、三浦洋一さんは女優Uと結婚していましたが夫婦関係は破綻、離婚調停が長引いている最中でした。

無骨で不器用ながらすごく優しい男性だったと言います。その優しさは真理子さんの連れ子にも向けられました。息子と次第に仲良くなる三浦洋一さんを見て、彼が離婚調停中だと知りながらも惹かれてしまったと言います。

隠し子騒動で芸能界を干される

そして、真理子さんは籍を入れられないまま妊娠。息子は慶光と名づけられました。マスコミは「三浦洋一に隠し子発覚」と騒ぎたてました。

そんな中、女優Uとの離婚が成立。しかし、スキャンダル俳優のレッテルを貼られた三浦洋一さんへのマスコミの攻撃はやむことがありませんでした。この騒動でのイメージダウンが致命傷となり芸能界を干されてしまいました。

収入は全くなくなり、2人は貯金を切り崩しながら生活することに。芸能界を干されていたものの三浦洋一さんはいつ仕事がきても言いようにボイストレーニング体力作りを欠かさず行っていました。

食道がんに…

隠し子騒動から6年後、時代劇の舞台の仕事が来ました。しかし、意気込む三浦洋一さんに悲劇が襲いました。食道がんの判明です。

舞台の公演開始まで1ヶ月を切ったある日のこと、体調に異変を感じた三浦洋一さんは友人の病院へ。本人には告げられませんでしたが、すでに余命2ヶ月でとても舞台に上がれる体ではありませんでした。

舞台挨拶の時はすでに食事が全く喉を通らない状態になっていました。それでも共演者にはがんであることを隠し、点滴と輸血だけで27日間の舞台に立ち続けました。

公演終了後、三浦洋一さん本人に余命が告げられました。そして2000年5月14日に三浦洋一さんは亡くなりました。

8000万円の借金

幼い2人の子供と共に残された真理子さんですが、悲しみにくれる彼女にさらなる追い討ちが襲い掛かりました。多額の借金です。

東京に建てた豪邸のローン返済に加え、生命保険に入っていなかった三浦洋一さんの長期に渡る闘病治療代。その額は8000万円

真理子さんは三浦洋一さんとの思い出がつまった自宅を手放し、実家の青森に戻り近所の洋食店で働き始めました。

残された妻は今…

三浦洋一さんの死から14年、真理子さんはすでに借金全額を整理し2人の子供も成人。長男の豪之さんは青森県で会社員をしながら真理子さんを支えています。一方、次男の慶光さん(20歳)は青森から単身上京。父と同じ俳優になりたいと思っているそうです。

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