前田利恵は今…|爆報!THEフライデー

1990年に放送された「美少女仮面ポワトリン」は最高視聴率18.9%を記録しました。このドラマでポワトリンの妹を演じたのが前田利恵(まえだりえ)さんです。彼女が演じる可愛らしい正義のヒロインは瞬く間に人気に。しかし、ポワトリンの放送終了からわずか3年で表舞台から姿を消しました。

前田利恵さんは12歳の時に学業に専念するため芸能界を引退。しかし、中学生の時に大好きだった母親ががんで他界。前田利恵さんは悲しみの反動から父親と度々対立。学校にも行かず不良仲間と荒れた生活を送っていました。

しかし、26歳の時に結婚。2人の子宝にも恵まれました。しかし、32歳になった前田利恵さんは謎の病に襲われました。

まず最初にあらわれたのは39℃を超える高熱。当初はただの風邪だと思い込んでいました。しかし、数日後には体に謎の発疹が。その後、熱は下がったものの精神錯乱状態に。さらに幻覚症状までも。異常を察知した父親に連れられ前田利恵さんは病院へ。隔離病棟に入れられました。一体彼女がかかった謎の病とは何なのでしょうか?

それは水痘脳炎(すいとうのうえん)でした。

水痘脳炎とは、脳の神経に水痘ウイルスが侵入し起こる脳炎のことで、治療が遅れると最悪の場合、死に至るケースもあります。

原因の一つが子供の水ぼうそう。実は発熱が起こる2週間前、当時1歳だった娘が水疱瘡に感染。幼少期に水疱瘡にかからなかった前田利恵さんは免疫がなく、子供から水疱瘡をうつされていました。

大人になってから水疱瘡に感染すると合併症として脳炎を引き起こすことが多く、前田利恵さんのように顔と脳を繋ぐ三叉神経がおかされた場合、後遺症として意識障害が残る可能性も。

前田利恵さんは投薬治療を3週間続け回復。後遺症もなく病気を克服しました。そして元気を取り戻した前田利恵さんは今、埼玉県朝霞市の小学校で補助教員として働いています。

「爆報!THEフライデー」
あの子役は今…大追跡SP

この記事のコメント

  1. 前田 仁 より:

    [前田利恵さんは12歳の時に学業に専念するため芸能界を引退。しかし、中学生の時に大好きだった母親ががんで他界]とありますが、正確には中学3年生の秋に毎年の健康診断(練馬区医師会健診センター)に於いて「胃癌:ステージ4」の結果!前年の検診に於いて異常なしでしたが・・・本人いわく、当時バリュウム飲んだ時に胃に少し痛みがあったとの事・・/前年の健診にて見逃しが有ったと思います。
    実際に死後3-4年後に健診センターに前年の胃カメラフィルム変換を私が要求した時には「保存してない」との返答でしたが執拗に迫った結果、私と妻の胃カメラ写真の入手出来ましたが、妻の写真だけが一連の画像では無く、切り離されたフィルムでした。今では時効かもしれませんが、前年検査で撮影された(見逃し)部分を切り離して返却されたと思います。実際に私と妻の両方の返却されたフィルムでは、私の画像は切り離されていないが、妻のフィルムは切り離されたフィルムでした。
    今に思えば確実に隠蔽工作だったと思います。

  2. 前田 仁 より:

    正確には、中学3年生の時に母親の癌が見つかり、闘病後の高校1年の時に他界、
    「異常を察知した父親に連れられ前田利恵さんは病院へ」の前段階にも報道されて無い現実が有ります。救急車を呼ぶ前に私自身の車で救急病院(水疱瘡ウイルス脳炎の可能性がある)を探して翻弄の結果、受け入れ病院が無いので最終手段で救急車を呼びましたが、「診療は可能だが入院ベット無し」が殆どで、午前0時から午前4時ぐらいまで受け入れ病院が無いので、救急隊が言ったのは「翌日に一般外来で病院」をお勧めします。「且、本人が病院希望の意思が無ければ搬送不可」と言われました。
    当時、脳炎発症の本人が病院搬送希望の意思伝達は限りなく不可能であり、九機に落ちいりました。
    私は「翌日までに勝手に外に出て事故になったら責任取れるのか?」と言いました。
    最終的(午前4時頃)に毛呂山病院が可能と言われ、即座にお願いします。と言いました。
    ●結論!本人の意思表示が無ければ病院搬送しないとの事が、今でも救急の現実救急い於いては?です。

  3. 前田 仁 より:

    [健診ミス]

    20数年前にはSNSでの発信は考え難い事でしたが、今になって思えば「健診ミス」が有った!それが原因で命を奪われた!

  4. 前田 仁 より:

    #健康診断での誤診
    健康診断での判断ミス(見逃し)は当時(26年前)人間がレントゲン等で判断してたでしょうから、パーフェクトは無かったのかも知れません。
    当時不信任思ったのは、練馬区医師会健診センターで受けたのに、何故か練馬区医師会とは関係のない練馬区医師会とは関係の無い、当時がん治療の第一人者の一人「浜田先生」(社会保険・・病院だったか?)により練馬区医師会健診センターにて、妻の「胃がん告知」がなされ、ステルス癌との告知!20数年経過して更に思うのは「健康診断での見落とし確率99%」だと思います。
    その後、私自身は健診の不信に陥り、健診受けずに26年が経過しております。
    今更告訴するつもりは無いのですが、医療ミス(見落とし)により私と娘の人生は現実逃避と全てに対しての不信感に変わた事は間違いありません。!
    毎年恒例の健診は何の為の健診だったのか?重症化を未然に防ぐ為の健診だったはずなのに・・・???