1971年、日活がセクシー映画に路線変更し、その記念すべき第一作に抜擢されたのが女優の白川和子(しらかわかずこ)さんです。その美貌と妖艶な演技で世の男性を魅了しました。
代表作となる「団地妻シリーズ」をきっかけに20作品で主演。興行収入は異例の13億円をたたき出し、セクシー映画の女王と称されました。その人気はすさまじく、毎週のように週刊誌のグラビアを飾り学園祭では常に立ち見の大盛況でした。
しかし、1973年に日活の社員だった男性と結婚。普通の主婦になりたいと芸能界を引退しました。
地獄の団地生活
夫には死別した前妻との間に2人の連れ子がいました。子供たちの生活環境を変えないようにと白川和子さんは3人が暮らす関西の団地に移り住みました。
そこは当時、数万人の規模を誇る関西有数のマンモス団地。そこで夫の名字「小西」を名乗り専業主婦として団地暮らしを始めました。
しかし、思い描いた主婦生活は無残にも打ち砕かれ地獄の団地暮らしが待っていたのです。
監視の目
転居初日、近所へ挨拶周りを始めた白川和子さんですが、数日前にマスコミが雑誌に白川和子さんの転居先まで掲載していたため、元人気セクシー女優が団地に引っ越してくると既に団地中の話題になっていました。
そして転居早々、白川和子さんの部屋は団地住人の知るところとなり好奇の目にさらされることになりました。彼女の行動は監視され井戸端会議のネタにされました。
そして若くて美しい元セクシー女優に対し主婦たちのやっかみが始まりました。「高い肉を買っている」と言いふらされたり、特売品を買えば「女優のくせに特売品やて」「庶民ヅラしてるだけやろ」と言われました。
白川和子さんを監視しているのは団地住民だけでなくマスコミも押しかけ、彼女のプライベートを面白おかしく書きたてました。
それから、毎日のようにいたずら電話がかかってくるように。
白川和子さんは少しでも状況を変えようと団地の運動会に積極的に参加したり、おすそ分けを息子に持って行かせるなど団地に溶け込むように努力しました。
追放運動
そんなある日、下の階に住む主婦に突然呼び出されました。白川和子さんの家の洗濯機のホースが外れ洗濯水が階下のベランダに落ちていたのです。このミスで住民たちに土下座を命じられたと言います。
このあと住民たちの嫌がらせはエスカレートし、白川和子追放運動が始まりました。それは彼女が演じた団地妻シリーズによって団地のイメージが低下する、子供の教育にも悪影響と彼女の追放の署名運動が始められました。
署名は50棟の内、5棟分が集まりました。
夫の裏切り
こんな地獄の団地生活を送る白川和子さんでしたが、唯一心の安らぐ場所が家族だけで過ごす家の中でした。ところが、白川和子さんは家族にも裏切られてしまいました。
ある日、団地で孤立する妻を見かねた夫が一人の子供連れの女性を連れてきました。女性は29歳で3人の子供を育てる女性でした。同じような境遇もあり彼女とはすぐに意気投合。やがて彼女は夫がいない時も頻繁に家を訪れるようになりました。
しかし、実はこの女性は夫の愛人だったのです。
浮気発覚後、夫は家に寄り付かなくなり家庭崩壊。団地に残されたのは夫の連れ子の長男と長女。長女は白川和子さんに猛反発し、長男は非行を繰り返し暴走族へ。もはや白川和子さんの心が休まる場所はどこにも無くなりました。
1980年、長男と長女が社会に出たのをきっかけに離婚。地獄の団地生活に別れを告げました。
白川和子は今…
現在、白川和子さんは再婚し相模原で新たな生活を送っています。その再婚相手というのは浮気をした元夫・小西さんです。
実は白川和子さんと小西さんの間には一人娘がいました。離婚後、彼女は娘を連れて東京に戻り女優として再スタートを切りました。彼女の復帰は大きく報道され娘はイジメられ登校拒否に。
夫婦の都合で娘が犠牲になったことを悔やんだ白川和子さんは、別れた夫の全てを許し再婚。多くの試練を二人で乗り越えてきました。
子供たちも立派な社会人に成長し、ようやく家族が一つになりました。
「爆報!THEフライデー」
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