連続殺人犯に襲われた桂あやめ&拘置所からの伝言|爆報!THEフライデー

1991年12月、前代未聞の凶悪事件が発生しました。スナックママ連続殺人事件です。12月12日に一人目の被害者が出てから28日までの半月の間に女性4人が殺害されました。犯人はいずれも閉店後のスナックを訪れ、ママの首を絞めた後にナイフで殺害、金品を奪い逃走しました。

現場に残された指紋から特別指名手配されたのは西川正勝(にしかわまさかつ)死刑囚(当時35歳)でした。突如発生した凶悪殺人犯の逃亡劇。どこに潜んでいるのか分からぬ恐怖に日本中が恐怖におびえました。

そんな中、殺人犯の5人目のターゲットになってしまったのが落語家・桂あやめ(かつらあやめ)さんです。桂あやめさんは女性の落語家の先駆者として将来を期待された若手実力派で、関西を中心に活躍していました。

1991年12月12日、姫路市内にあるスナックで閉店直後に訪れた男がママの首を絞めた後にナイフで殺害。金品を奪うというおぞましい事件が発生しました。現場に残された指紋から割り出された犯人は西川正勝元死刑囚(当時35歳)。

西川正勝は18歳の時にすでに一人の女性を殺めている凶悪犯でした。17年間もの刑務所暮らしを経て事件を起こす2か月前に出所したばかりでした。そして、男は21日に島根県松江市で、26日と28日に京都市で4人連続で女性を殺害し金品を奪って逃走。特別指名手配されるも逮捕されず行方をくらましていました。

1991年12月31日、魔の手が大阪市天王寺区で一人暮らしをしていた桂あやめさんへと忍び寄りました。その日、桂あやめさんは年越しに行う落語会の準備を落語家仲間としていました。当時は駆け出しの身でお金もなく家にはテレビも新聞もありませんでした。そのため、身近で連続殺人事件が起こっていることすら知りませんでした。

午後1時過ぎ、「隣に引越して来た者です」と男があいさつにきました。この男こそ、4人の女性を殺害している凶悪犯でした。男は「自分の部屋に入ったら壁が汚れてて、お宅はそんなことなかったですか?」と聞いてきました。男は桂あやめさんの部屋をくまなく見渡した後、そのまま帰っていったと言います。

西川正勝は、桂あやめさんの部屋の隣にあるガスメーターの入った1畳ほどのスペースで寝泊まりしていました。西川はここで寝泊まりし、桂あやめさんの昼夜の生活スタイルを徹底的に調べ上げていた可能性があると言います。

そして1992年1月5日午前10時45分、西川正勝が「隣に越してきた白神です」といって訪ねてきました。そして「電話をかしてくれ」と言ってきました。西川正勝は両手で桂あやめさんの首を絞め押し倒してきたと言います。抵抗するも男の力には勝てず気を失ってしまいました。

目覚めると、西川正勝がいました。そして再び桂あやめさんに襲い掛かってきました。桂あやめさんは命乞いでもなんでも、とにかく犯人と会話をしようと必死になりました。男にお金の場所を教え、落語で鍛えた話術を駆使し、相手が気持ちよく話せるように努めました。すると、犯人は徐々に落ち着きを取り戻しタバコを吸い始めると身の上話を始めたと言います。

西川正勝は鳥取県出身で9歳の時に母親と死別。姉に育てられてきた境遇の持ち主で逃亡中の身であることを明かしました。桂あやめさんは、男は逃げるのに疲れていると感じたと言います。恐怖を感じながら間を作らず必死に会話を続けました。すると、男は「あんたいい人やな」と言い、14万円を持って部屋から立ち去ったと言います。

そして、桂あやめさんを襲った2日後に西川正勝は逮捕されました。実は、再び女性宅に侵入するもここでも熱心に説得され続け逃亡を断念。こうして事件は解決し、西川正勝には死刑判決が下されました。

しかし、桂あやめさんの中で事件は終わっていませんでした。長い時を経てもPTSDの症状と向き合い恐怖に震える日々を送っています。逮捕から25年、ついに西川正勝に死刑が執行されました。

実は、桂あやめさんは西川正勝がいた大阪拘置所から出てきた人と会う機会がありました。桂あやめさんの知人は西川正勝と拘置所で一緒になり、西川は桂あやめさんに向けて「あやめちゃんに会ったらごめん言うといて」と伝言を残していました。何と西川正勝は桂あやめさんに謝罪表明をしていたのです。

私はもう許せないという一点張り。私一人しか残ってないからこそ許したらあかんという気持ちはありまして。(亡くなった)他の人は絶対許せない。許すことも怒ることも出来ない。それを思ったら私が勝手に許したらあかん。死刑執行されようと許せるもんでもない。絶対そういう事件を許せない。(桂あやめさん)

桂あやめさんは今、事件を風化させまいと高座のネタにし毎日を頑張っています。

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