美しい自然に恵まれ東欧の楽園とよばれるルーマニアは、30年前まで独裁政治が敷かれていました。
その時の大統領はニコラエ・チャウシェスク。その婦人であるエレナ・チャウシェスクは「20世紀最悪の女独裁者」と呼ばれています。国民の税金を搾取し、溜め込んだ蓄財は1400億円。8万人の市民を強制退去させ自分の街を建設し、世界第2位の巨大宮殿で生活していました。
エレナのおいたち
エレナは1919年にルーマニアのワラキア地方で生まれました。幼い頃から勉強が大嫌いで小学校4年生で中退。しかし、野心だけは人一倍ありました。
1930年代半ばにルーマニア国民共産党に入党し、その美貌を武器に党の若きリーダーだったニコラエ・チャウシェスクと1946年に結婚しました。そして、1974年にニコラエが大統領に就任し、エレナも表舞台に出てくるようになりナンバー2となりました。
夫婦が目指していたのは独裁国家でした。
学歴の捏造と経済の混乱
エレナ・チャウシェスクは100以上もの研究論文を発表し、あらゆる分野の博士号を取得しました。しかし、これは全て捏造で他人に書かせたものでした。エレナは学歴がないことをコンプレックスに思っていたのです。
そして、手に入れた博士号を根拠に専門知識が欠かせない石油化学の大臣に就任しました。当時、石油加工はルーマニアを支える重要産業でしたが、エレナの大臣就任でガタガタになってしまいました。
8万人の強制退去と宮殿建設
エレナ・チャウシェスクは部屋数3000以上、総工費1500億円の宮殿を建設させました。この宮殿を建設させるためにエレナは強制退去を行いました。そのせいで家を失った人は8万人にも及びました。
エレナはこの宮殿に家族や親族を住まわせ、30人以上を要職につけさせました。
孤児の爆発的増加
1966年、チャウシェスク政権は人口が増えれば国が栄えると信じ、強制的人口増加政策を行いました。45歳までに子供を最低5人生むことを女性に強制し、中絶は法律で禁止しました。
出産を何度も強要され、その負担に耐え切れず命を落とす女性が続出。ちなみに、エレナ・チャウシェスクは2人しか生んでいませんでした。
この政策と慢性的な食料不足から子供を育てられない親が急増し、街にはストリートチルドレンが溢れました。さらに、子供たちの多くは栄養失調で衰弱。栄養剤かわりに輸血を奨励し、注射針を使いまわしたことで子供たちにエイズが蔓延しました。
しかし、国の保健衛生の責任者だったエレナは世界に「共産主義国家にエイズは存在しない」と発表し、エイズの蔓延を野放しにしました。
ルーマニアは現在でもヨーロッパの中でエイズ感染率が高い国の一つです。エレナが残した負の遺産は今も国民を苦しめ続けているのです。
莫大な資産と耐乏政策
1980年代のチャウシェスク時代、貿易赤字は2兆円を突破。このままでは国が破産しますが、自分たちの豊かさを手放したくないエレナ・チャウシェスクは耐乏政策を実行しました。外国からの輸入を抑え、輸出を増やすことで外貨を多く獲得するという政策です。
そのため食料品は国が管理し配給制度にしました。油は一ヶ月0.5リットルまで、卵とマーガリンは入手困難になりました。
国民が飢えに苦しんでいる中、エレナ・チャウシェスクは贅沢三昧をし、靴と衣装は365日分ストック。1度身につけたものは2度と使いませんでした。美術品や高級車、ボートまで買いあさり国民の税金で得た不正蓄財は1400億円にもなりました。
息子のためコマネチを誘拐
エレナ・チャウシェスクは、世界の至宝と呼ばれた体操選手ナディア・コマネチを息子のために監禁しました。
エレナの次男ニクが「コマネチを自分の恋人にしたい」と言い出したことで、コマネチを誘拐し監禁。コマネチは後にアメリカに亡命していますが、このことが原因だといわれています。
ルーマニア革命
1989年にルーマニア革命が起こり、ニコライとエレナは逮捕されました。二人は裁判にかけられ銃殺刑に処されました。
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