仁支川峰子の卵巣のう腫・豪邸倒壊・離婚・甲状腺がん

テレビ朝日の「玉の輿に乗ったのに、その後どん底に落ちた女たち」で仁支川峰子さんについて放送されました。仁支川峰子(にしかわみねこ)さんは1958年に福岡県で生まれました。電気も水道もない極貧生活でしたが、中学生になると歌の才能が開花。のど自慢大会では常に入賞を果たし地元で「のど自慢荒らし」として有名に。15歳の時に東京でオーディションに参加し見事合格。こうして1974年に歌手デビューを果たしました。翌年には紅白歌合戦に初出場し一気にスターへの階段を駆け上がりました。そして19歳の時に念願の一軒家を両親にプレゼント。貧しくても大切に育ててくれた両親に恩返しが出来た仁支川峰子さんは、まさに幸せの絶頂にいました。

 

テレビ出演や地方巡業など超多忙な生活を送っていた仁支川峰子さんですが、卵巣のう腫が発覚。緊急入院し右側の卵巣を摘出することになってしまいました。その後、歌手活動から方向転換をした仁支川峰子さんは映画「青春の門・自立編」で娼婦役を演じました。この体当たり演技が評価され映画やドラマの仕事が増えていきました。さらに映画「吉原炎上」で女優としての才能を開花させました。ところが、32歳の時マネージャーが運転する車が大事故を起こしてしまいました。仁支川峰子さんは奇跡的にむちうちと頭部打撲のケガですみました。九死に一生を得た仁支川峰子さんは栃木県那須に1100坪の豪邸(総額2億円)を建てました。しかし、この豪邸購入が人生最大の不幸を招いてしまいました。1998年8月28日、栃木県全域を記録的な集中豪雨が襲い、たった1ヶ月前に購入したばかりの豪邸が濁流に飲み込まれてしまったのです。

 

42歳の時、ロケで島根県隠岐島を訪れた仁支川峰子さんは隠岐島観光協会の男性と知り合いました。彼は鎌倉時代隠岐島に流された後鳥羽上皇の墓守を代々務める地元の名士でした。すっかり隠岐島を気に入った仁支川峰子さんは4ヵ月後にも社員旅行で訪れ彼と再会を果たしました。不幸の連鎖で疲れきっていた仁支川峰子さんですが、彼といると心の平穏を取り戻すことが出来ました。急速に惹かれあった2人は2001年7月にスピード結婚。仁支川峰子さんは歴史ある名家の玉の輿に乗ることが出来たのです。しかし、夫は酔うと手がつけられないほど酒癖が悪い男でした。毎日酒に酔っては家族と取っ組み合いの喧嘩を始める始末。さらに夫の浮気が発覚し2人は離婚しました。

 

ある日、首筋にしこりのようなものを感じた仁支川峰子さん。病院で検査を受けると甲状腺の乳頭がんであることが発覚。それでも腫瘍は無事に摘出されました。