メルボルン事件 史上最悪の冤罪事件に巻き込まれた本多千香さん|爆報!THEフライデー

本多千香(ほんだちか)さんは、1956年に神奈川県海老名市で生まれました。地元では有名な美少女として学校のヒロインだったと言います。しかし、1992年に人生が激変しました。

 

当時36歳だった本多千香さんは、交際していた男性と将来を約束し幸せの絶頂でした。そんなある日、友人からオーストラリア旅行に誘われ、友人とその兄弟など男女7人でオーストラリアへ向かいました。これが悪夢の始まりでした。

 

オーストラリアへ行く途中、経由地としてマレーシアのクアラルンプーンに到着。そこで合流したのが、現地ガイドのチャーリー。ホテルで一泊し、翌日メルボルン空港に到着しました。X線検査で荷物のチェックを待っていると、本多千香さんのスーツケースから大量のヘロインが発見されました。

 

なぜスーツケースにヘロインが入れられていたのか?

逮捕前日、クアラルンプールで食事をしていた時のこと、荷物を積んだ車が盗難にあいスーツケースが紛失。旅行を中止せざるおえない状態に。ところが翌日、ガイドのチャーリーがスーツケースを発見しホテルに届けてくれました。スーツケースはズタズタにされていたため、チャーリーが代わりのスーツケースを用意してくれていました。中身は荒らされた形跡がなかったと言います。

 

すごく重くて持ち上げるのがやっとでした。鞄を切られたのに中身が全然傷ついてなくて、ちょっと不思議に思いました。

(本多千香さん)

 

多少不審に思ったものの、荷物が見つかった嬉しさで気にもとめなかったと言います。そして、別の便でオーストラリアに来るというチャーリーと別れ、本多千香さんたちは飛行機に乗り込みました。

 

しかし、本多千香さんのスーツケースは二重底にされヘロインが隠されていました。7人中4人のスーツケースが改造されていました。押収されたヘロインは13kg。末端価格にして8億円にも及びました。

 

本多千香さんはチャーリーが怪しいと疑いましたが、チャーリーは一切罪をとがめられることなく事件直後に姿をくらましました。

 

オーストラリアでは麻薬密輸は殺人と同様に重罪です。本多千香さんは、必死に無罪を訴えようとしましたが、通訳は日本語の日常会話も話せないレベル。何度も通訳の交代を訴えましたが、聞き入れてもらうことはできなかったと言います。

すごく下手っぴな通訳で辞書を見ながら通訳をしていた。

(本多千香さん)

さらに、罪を認めるなら刑期を短くするという司法取引を持ち掛けられましたが、本多千香さんは断固として拒否しました。下された結果は懲役15年。この事態に日本の弁護士52人が弁護団を結成。裁判のやり直しを訴えましたが、判決は覆られませんでした。しかし、本当の地獄は刑務所に入ってからでした。

 

地獄の刑務所生活

本多千香さんが収監されたのはメトロポリタン女子刑務所。住居は個室が与えられましたが、一緒に暮らすメンバーの大半は殺人犯でした。毎朝7時に起床し朝食を食べ、9時~16時まではそれぞれに振り分けられた仕事を行います。本多千香さんの仕事はぬいぐるみの裁縫でした。さらに、言葉もわからず話せる相手もいなかった本多千香さんは、他の受刑者から陰湿なイジメを受けました。

 

入所から3か月を過ぎるとパニックや幻覚に襲われるようになりました。さらに、舌が真っ黒に変色。味覚がなくなり食事もできない状態に。原因は精神的ストレスと不衛生な食事。食事は、囚人が当番制で作っていたこともあり、衛生管理が不十分で原因不明のウイルスに感染したと言います。

 

月日が過ぎるにしたがい、頻繁に取り上げてくれていた日本もマスコミも本多千香さんのことを扱うことはほとんどなくなり、恋人は去っていきました。

 

そして、本多千香さんは自殺をはかりました。彼女の左手首には、その時の傷跡がハッキリと残っています。

 

人生を奪われた10年半 刑務所の後遺症

2002年11月19日、本多千香さんは刑期が5年早まり10年半の獄中生活を終え帰国しました。

空港に着く前に空から外が見えて、日本に帰ってきたんだな。あぁ嬉しいって。やっと帰ってきたんだって。

(本多千香さん)

 

事件に巻き込まれ全てを失った彼女は、自分の身の潔白を証明する事を決めました。しかし、拘禁ノイローゼに苦しみ、出所から16年経った今でも睡眠障害に苦しんでいます。

 

あまりにも長く刑務所にいたんで、刑務所の刑務所の方が幸せになっちゃったんですよ。怖かった、外が。

(本多千香さん)

 

その後、少しずつ外出するまで体調を持ち直した本多千香さんは、さいたま市内のスナックで働き始めました。そして、2010年にお店で出会った男性と結婚しました。しかし、1年半で離婚しました。

 

ヘロインは誰が入れた?

弁護士の田中俊さんは、本多千香さんの無実を証明しようとチャーリーの行方を追っていました。チャーリーはクレジットカード偽造の罪で逮捕され、マレーシアの刑務所に収容されていました。チャーリーとの接見を申し込み面会が実現しました。

 

日本人たちは何も知らない。ただヘロインはオーストラリアでギャングが受け取る手はずになっていたんだ。彼女は何も知らなかったんだ。本当に何も。

(チャーリー)

 

しかし、チャーリーの証言だけでは無実を証明することは不可能。わずかな望みは、裁判所で真実を語ってもらうしかないのですが、チャーリーは出所後再び姿を消しました。

 

本多千香さんは今…

62歳となった本多千香さんは、さいたま市の築40年、家賃5万5000円のアパートに一人で暮らしています。週6日、パートで夜まで働いています。帰宅後は誰もいない部屋でコンビニ弁当を食べる日々。事件から26年が経ち、今の生活を何とか受け入れようとしています。

 

そんな本多千香さんは今、元夫の正和さんとの何気ない会話が心の癒しになっていると言います。元夫に支えられながら少しずつ笑顔を取り戻しています。

 

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実録!メルボルン事件



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