昭和の芸能界の大スターミヤコ蝶々さん(本名:日向鈴子)は、全国のお茶の間に親しまれた元祖売れっ子女芸人です。
そんなミヤコ蝶々さんの死後には莫大な遺産が残りました。現金預貯金が2億数千万円と、大阪にある185坪の豪邸(2億円)、遺産総額は合わせて4億円以上。しかし、4人の親族が4億円の遺産をめぐり7年間に渡り骨肉の遺産争いを繰り広げました。
ミヤコ蝶々さんの一人息子・日向利一(ひゅうがとしかず)さんは、ミヤコ蝶々さんが亡くなり全ての遺産を自分が相続するものと思っていました。ところが葬儀当日、遺産相続の権利があると主張する3人の人物が現れました。
3人は、ミヤコ蝶々さんの離婚した母親と再婚相手との間に生まれた子供たち。つまり、ミヤコ蝶々さんとは父親が違う兄弟。彼らはミヤコ蝶々さんと血縁関係があることを理由に遺産相続の権利を主張してきました。3人の登場により、ミヤコ蝶々さんの遺産相続は家庭裁判所を通した調停に発展しました。
しかし、異父兄弟たちはDNA鑑定を行いたいと言ってきたのです。それは、利一さんがミヤコ蝶々さんと内縁関係にあった男性との間に生まれた隠し子だったからです。
不満はあったものの、これでけりがつくならと利一さんはDNA鑑定を承諾。異父兄弟との血縁関係が調べられました。ところが、DNA鑑定の結果、利一さんと異父兄弟たちに血縁関係はないことが判明。利一さんはミヤコ蝶々さんの父方の親族とのDNA鑑定も行うことにしました。すると76%の確率で血縁関係があるという結果に。ではなぜ、母方の親族との血縁関係は0%だったのでしょうか?
実はミヤコ蝶々さんの父にはかつて愛人がおり、ミヤコ蝶々さんは正妻との子供ではなく父と愛人との間に生まれた子供でした。そのため、母方の異父兄弟との血のつながりがなかったのです。ミヤコ蝶々さん自身もまた隠し子だったことを利一さんは知りました。
この鑑定結果を出せば調停は利一さんに有利は働くはずでした。ところが、利一さんは鑑定結果を調停に出さず7年に及んだ調停は和解が成立。利一さんは遺産を3人で分けるように言い、記念館が開ける土地だけを貰いました。
利一さんの闘いはお金ではなく、自分がミヤコ蝶々さんの子供だという証を求めた闘いでした。利一さんは、ミヤコ蝶々さんが残した豪邸に彼女の功績をたたえる思い出の品々を展示し、記念館を作りたいと考えていました。
そして2008年にミヤコ蝶々記念館を設立し、現在は館長を務めています。
「解決!ナイナイアンサー」
この記事のコメント