1975年、落語家として駆け出しだった26歳の時に20歳の妻と結婚したヨネスケさん。千葉県にマンションを購入し、2男1女に恵まれ家族5人で暮らし始めました。お金の余裕はなかったものの幸せな家庭生活を営んでいました。
そんな中、1985年に「突撃!隣の晩ごはん」でブレイク。その後は誰もが知る売れっ子リポーターとなりました。
しかし、皮肉にも売れたことでヨネスケさんは父親失格の道を歩んでしまうことに。家のローンや生活費は欠かさず家庭に入れるものの、仕事終わりは毎晩のように業界人や芸能仲間と飲みに出かけ、自宅でごはんを食べず夜の店をはしご。家に帰るのは子供たちが学校に出かける頃でした。
さらに、多忙のため家事や育児など家庭のことは全て妻に任せきりで一切省みることはなかったと言います。たまに家にいることがあっても「落語の勉強をする」と言い訳し、自分の部屋に引きこもり子供たちとの会話はほとんどなかったそうです。
なぜこんな事態を招いたのでしょうか?そこにはヨネスケさんの複雑な生い立ちが関係していました。
複雑な生い立ち
千葉県市原市で生まれ育ったヨネスケさんは、父がいない母子家庭で、兄弟は父の違う姉2人と父が同じ1人の兄の4人兄弟。
母は魚の行商の仕事をしながら子供たちを養っていました。父の姿を見たことはなく幼い頃から「父は死んだ」と母に聞かされて育ちました。
しかし、本当は母と父は愛人関係で結婚しておらず、ヨネスケさんは愛人の子だったのです。そんな父のいない複雑な環境だったため、母親の役割を演じたのは23歳年上の長女で、父親の役割を演じたのは母でした。
本当の父を知らずに育ったヨネスケさんは、自ら家庭を作った時に戸惑いを感じたと言います。父親とはどんな振る舞いをするのか知らないヨネスケさんは、自分の子供とうまく向き合えなかったのです。そして、自ら父親失格と思い家庭を避けるように。
熟年離婚
そして5年前に「ちょっと銭湯に行ってくる」と言って出かけたきり別居。そんな夫の振る舞いに耐えかねた妻は、ヨネスケさんに三行半を突きつけ2015年3月に熟年離婚しました。
39年間迷惑をかけた妻へのせめてもの罪ほろぼしに、これまで貯えてきた全ての財産を渡しました。こうして芸人ヨネスケさんは再出発をきったのです。
「爆報!THEフライデー」
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