グランマ・モーゼス「アップルバター作り」|美の巨人たち

アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスが本格的に絵を描き始めたのは70代半ば、初めて個展を開いたのは80歳でした。運命や人生というものはどうなるか分からないものです。無名の農婦がアメリカで最も愛された画家になったのですから。

彼女は「グランマ・モーゼス」と呼ばれていました。

「アップルバター作り」

グランマ・モーゼスの「アップルバター作り」は縦49cm、横59cm、メゾナイトの板に描いた油彩画です。

赤いレンガの家の背後にあるちょっとした広場に村の人々が集まっています。焚火を起こし大きな鍋でリンゴを煮ています。秋の収穫を終え、みんなでアップルバターを作っているのです。かたわらでは男の人が蒔を割っています。女性たちがリンゴの皮を剥いています。馬車が荷台いっぱいのリンゴを運んできました。村人たちの楽しげな様子が伝わってきます。

グランマ・モーゼスの絵を尊敬していたのが、アメリカで愛されたもう一人の画家ノーマン・ロックウェルです。

彼女の作品はまがい物ではない。素晴らしく誠実な絵だ。

(ノーマン・ロックウェル)

ホームメイドの暮らしから

グランマ・モーゼスは、1860年にニューヨーク州グリニッチに生まれました。農場で働く両親の手伝いをしたり、大勢の兄弟の世話や面倒をみながら忙しくも幸せな日々を送りました。

19世紀のアメリカ東部の農民たちは、必要なものは全て自分たちで作るという自給自足の暮らしをしていました。つまりホームメイドです。

アップルバターリンゴを刻んで、沸騰させたアップルサイダーに砂糖とシナモン、クローブ、シナモンなどと一緒に煮込んで作ります。10時間くらい煮込めば出来上がりです。パンに塗って食べると美味しいそうです。

グランマ・モーゼスの家は裕福ではありませんでした。12歳の時に、近所の大きな農場で住み込みのお手伝いとして働きました。料理、洗濯、裁縫などの仕事を覚え、ないものは全て自分たちで作るという生活の技術を身に着けたのです。

結婚したのは当時としては遅く27歳の時でした。相手は同じ農場にいた働き者のトーマス・サーモン・モーゼス。2人は独立しようとヴァージニア州に向かい、自分たちの農園を持ち懸命に働きました。10人の子供をもうけましたが、無事に育ってくれたのは5人だったそうです。

グランマ・モーゼスが故郷に近いイーグル・ブリッジに住まいをかまえたのは1905年、45歳の時でした。夫のトーマスがホームシックにかかり、新しい農場で暮らし始めたのです。

しかし、彼女が67歳の時にトーマスが病で亡くなってしまいました。

壁紙の絵

トーマスが亡くなる少し前「誰があの絵を描いたんだい?」と聞いてきました。それは、たまたまグランマ・モーゼスが壁紙のかわりに描いた絵でした。しかし「あれは本当に素晴らしい」とトーマスは言うのです。それからしばらくしてトーマスは亡くなりました。

やがて、グランマ・モーゼスは絵を描き始めました。描いたのは素朴な暮らしでした。

イーグル・ブリッジの隣町フージック・フォールズにある薬局にグランマ・モーゼスは手作りのジャムを置いていました。その時、ついでに何枚かの絵も置いてもらっていました。

1938年のイースターの日のこと、一人のコレクターがドラッグストアに飾ってあったグランマ・モーゼスの絵に釘付けになりました。そして全て買い取ったのです。グランマ・モーゼスを発見したのは水道局に勤めながら地方を回り絵をコレクションしていたルイス・カルドアという人物です。その後、カルドアはグランマ・モーゼスの絵を展示する場所を求めてニューヨーク中を歩きました。そして、画廊を経営していたオットー・カリアに行き着いたのです。

1940年、グランマ・モーゼスが80歳の時ニューヨークの画廊で最初の個展が開かれました。グランマ・モーゼスは数年を待たずして時の人となったのです。なぜ彼女の絵は人々の心をとらえたのでしょうか?

グランマ・モーゼスは木々の葉の色に対して独自の感性を持っていました。

多くの葉はそれぞれ三つか四つの違った緑の色合いを持っています。ちょっと先の部分は濃く暗緑いろになっているとか、外側の部分は黄緑か白っぽい緑だったり。それが葉の色合いなのです。

(グランマ・モーゼス)

グランマ・モーゼスは雪の色にも一つの考えを持っていました。

人々は私にもっと影をつけろ、もっと青を使えと言いますが私がいくら目を凝らして雪を見つめても青を見いだすことができません。

(グランマ・モーゼス)

彼女は雪を描く時、単に白い絵の具を使うだけではありませんでした。グランマ・モーゼスが使ったのはマイカ粉末と呼ばれる雲母です。

グランマ・モーゼスは雪を知っていました。その冷たさと結晶の輝きを生み出そうと絵の具が乾かないうちに雲母を振りかけたのです。

もう一つ、グランマ・モーゼスの絵には特徴があります。

俯瞰で描いたもの

グランマ・モーゼスの絵のほとんどは、広々とした風景を少し高い位置から描いています。美しい自然と自分たちの暮らしの姿を同時に表現するためにです。

しかも、20世紀も半ばなのに自動車も鉄道も農業機械や電化製品もほとんど登場しません。それは、彼女の思い出がモチーフになっているからです。少女の頃に体験した懐かしい喜びや楽しみ。自らの人生の歴史を描き続けたのです。記憶の中の光景を俯瞰するように。

グランマ・モーゼスが描いたものは、ホームメイドの暮らしぶり、壁紙のような素朴な筆づかい、そして高いところから見つめた思い出の中の風景だったのです。

70歳を超えてから本格的に絵を描きはじめて、生涯描いた絵は1600点にものぼったと言います。理由はジャム作りのようにただ好きだったからです。有名になってもグランマ・モーゼスの暮らしは何一つ変わりませんでした。

1961年12月、101歳のグランマ・モーゼスは療養先のベッドで「家に戻ったらまた絵を描き始めなきゃ」とつぶやいたそうです。

「美の巨人たち」
アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス「アップルバター作り」

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