モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」|ららら♪クラシック

モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は知名度の高さとは裏腹に、研究者にとってはミステリアスな曲です。何のために書かれたのか分かっていないのです。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

名曲誕生の謎に挑む

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とはドイツ語で「ひとつの小さな夜の音楽」という意味です。

実はナハトムジークは多くの場合、親しい相手から贈られる音楽のプレゼントでした。夜、貴族や高貴な人々の館の前で贈り物として野外演奏される軽い曲。しかし、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はモーツァルトが誰のために作ったのか分かっていないのです。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を作曲したのは1787年。大作「ドン・ジョバンニ」の執筆で忙しい最中に書いたものです。一体誰のために書いたのでしょうか?

そのヒントが隠されているのがモーツァルトの自作目録。そこには1787年8月10日に「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を作曲したと本人の筆跡で記されています。

ナハトムジークは親しい友人や家族のお祝いの音楽でもありました。そのお祝いは多くの場合「聖名祝日」でした。ヨーロッパでは多くの人がキリスト教の聖人にちなんだ洗礼名をつけます。その聖人の祝日は誕生日以上に盛大に祝う習慣がありました。

8月10日の少し後くらいに聖名祝日をむかえた人が「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と関係があるのではないかと推測できます。

7年前、それが誰なのかを推測した興味深い論文が発表されました。ミュンヘンの音楽学者ザイフェルトによるものです。モーツァルトと付き合いのあった人の中から8月10日付近に聖名祝日をむかえる人を洗い出して検証。すると、浮上したのがニコラウス・フォン・ジャカンという人物でした。彼の聖名祝日は8月11日とされています。

ニコラウス・フォン・ジャカンは、ウィーンに住む貴族で学者でもありました。家族ぐるみで付き合いのあったモーツァルトが作曲をうけおい「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」がジャカン家の庭で初演されたという説が浮かび上がったのです。

ジャカンには2人の息子がいました。長男ヨーゼフ・フランツは父と同じ植物学者で、次男ゴットフリートはアマチュアの歌手で作曲もてがけました。ジャカン家に度々遊びに来ていたモーツァルト、中でもゴットフリートとは無二の親友でした。二人が一緒に作曲したと言われている曲も少なくありません。

ゴットフリートは、少し不良で気まぐれで女性を追いかけ回す遊び人でもありました。見かねたモーツァルトが説教をしたこともあったとか。

モーツァルトは兄弟と「友情記念帳」を交換していました。モーツァルトが書いた直筆のメッセージも残っています。

僕が君の本当に誠実な友達だということを忘れないで。

そして、ゴットフリートからモーツァルトにはこんな言葉が送られました。

心を欠いた天才には価値がない。愛!愛!愛!それこそが天才の神髄なのだ。

天才モーツァルトの天才たるゆえん

実は、今の第2楽章とは全く違う幻の第2楽章がありました。モーツァルトは16小節を書いたところでキッパリとやめて、今のものに書き直したと考えられています。

モーツァルトはおそらくジャカンのための自分の気持ちを表現するものとしてはこれは不十分だと考えたんじゃないかと思うんです。このメロディーと今知られているメロディーを比べると一目瞭然なんです。今の方が圧倒的に素晴らしいメロディーだと私は思います。親しい人への感情っていうものが十二分に表れているんじゃないかと思います。モーツァルトは無数の選択肢から唯一の正解を自然に見つけることのできた作曲家だと思うんです。

(慶応義塾大学教授 西川尚生さん)

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モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

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