笑点の初代座布団運び桂文字助の転落人生|爆報!THEフライデー

1966年に放送が開始された「笑点」は最高視聴率40.5%を記録したオバケ番組です。「笑点」の座布団運びといえば何人もの人気者を排出。そんな座布団運びの初代をつとめたのが桂文字助(かつらもじすけ)さんです。

桂文字助さんは立川談志さんの弟子でした。ところが、座布団運びに選ばれて1年半、突如クビに。その後、高座にあがり続けるも笑点メンバーのように落語界のスターになれず、いつしか姿を消しました。

現在71歳になった桂文字助さんは、仙人のような見た目になっています。桂文字助さんは5年前から生活保護を受けて暮らしています。桂文字助さんには毎月約13万円が振り込まれ、そこから家賃や光熱費が引かれ残るのは6万円程だと言います。少しでも生活費を浮かせるため、家にあるもののほとんどが貰い物だと言います。

5年前から毎朝公園の掃除をしている桂文字助さん。今では近所の人から感謝をされるようになり、生活に必要な最低限のものは貰い物でやりくりしています。

そんな桂文字助さんは、最近入れ歯をなくし歯が1本もないと言います。入れ歯をなくして以来、口にするのは噛まなくていい貰い物のお酒か柔らかいものが中心。今のところ健康体だそうです。家にはクーラーや扇風機がないため暑い日はパンツ一枚で過ごしています。

なぜ桂文字助さんはこんな生活を送っているのでしょうか?そこには笑点メンバーとしての天国と地獄がありました。

桂文字助さんは、1946年に埼玉県大宮市に生まれました。本名は松田治彦(まつだはるひこ)18歳で知り合いに誘われ落語界に入り、20歳の時に立川談志さんと運命の出会いを果たしました。

桂文字助さんは人一倍気が利きました。ある日、立川談志さんがプロデューサーと打ち合わせをしている時に桂文字助さんはお茶を持っていきました。この打ち合わせが後に「笑点」となる番組会議でした。

当時、笑点メンバーに選ばれたのは落語界の人気者たち。3年目で前座の桂文字助さんが笑点メンバーに選ばれるのは異例の大抜擢でした。夢を抱き必死に座布団運びをしていた桂文字助さんでしたが、1年半経ったある日、座布団運び降板を言い渡されました。2代目に選ばれたのは毒蝮三太夫さんでした。理由も告げられぬままの降板でした。

座布団運び降板から13年後、立川談志さんに教えをこいながら34歳で真打に昇進。結婚もし子供もできましたが、落語家としての人気は今一つでした。

桂文字助さんは不甲斐ない自分をごまかすかのように、毎晩ツケで後輩たちとどんちゃん騒ぎ。笑点メンバーに負けたくないと思いながらも酒に逃げる日々。気づけば借金が800万円にふくれあがっていました。

そして結婚7年目のある日、妻が出ていきました。寂しさをまぎらわせるため、さらに酒に逃げるようになりました。些細な事ですぐケンカを起こすようになり悪評が広まり営業は激減。お酒をやめるどころか年々量が増えていき脳へのダメージが蓄積していきました。警察に連行された回数は10回以上。

さらに、師匠の立川談志さんにもケンカを売り、立川流内で孤立しました。お酒で全てを失った桂文字助さんですが、今でもお酒はやめず1日一升も飲んでいると言います。

番組では桂文字助さんと毒蝮三太夫さんが再会。毒蝮さんは桂文字助さんの座布団運び降板の理由を語っていました。自ら前座だった桂文字助さんを抜擢したものの先輩に委縮しながら座布団運びを続ける姿を見た立川談志さんは、落語家としての桂文字助さんに期待し座布団運びを降板させたのだと言います。

そして桂文字助さんは5年ぶりに高座へ。桂文字助さんはお世話になった恩を返せるようゼロから再出発をきりました。

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あの人は今…大追跡2時間SP

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