京唄子の晩年を娘が初激白|爆報!THEフライデー

2017年4月6日、肺炎でこの世を去った昭和の怪物女優・京唄子(きょううたこ)さん。しかし、その死には多くの謎が。実は、最後のテレビ出演以来、亡くなるまでの6年間一切の映像が残されていないのです。

京唄子さんの一人娘が、鵜島節子(うじませつこ)さんです。仲良し親子として週刊誌にたびたび登場。晩年は京唄子さんの仕事も手助けし、葬儀では喪主を務めるなど公私ともに京唄子さんを支えてきました。そんな彼女の口から飛び出したのは今まで語ることのできなかった衝撃の晩年でした。

京唄子の人生

京唄子さんは1927年、京都府西陣でちんどん屋をしていた両親のもとに生まれました。家は貧しく3畳の長屋で両親と兄との4人暮らし。食事はもっぱら煮込んだ芋で、酒乱の父は昼間から酒を飲み歩き、泥酔しては家で大暴れ。近所の子供たちからも偏見の目で見られいじめられる日々でした。

しかし、京唄子さんは常に心の中に反骨心を持ち続けました。そして17歳の時に劇団に入り女優デビュー。その後、21歳年上の俳優と結婚し娘を妊娠。女としての幸せをつかんだかにみえました。

ところが、夫の酒乱が発覚。舞台の稼ぎは飲み代に消え、京唄子さんは生きるため身重の体で焼き芋を売り歩き生活費を稼いでいました。そして、娘の出産を機に離婚。女優として活躍することなく失意のなか劇団をやめました。

その後、鳳啓助(おおとりけいすけ)さんと結婚。そして啓助さんの提案で夫婦漫才コンビ「唄子・啓助」を結成。啓助さんの愛嬌のあるボケと京唄子さんの美貌、鋭いつっこみが話題となり関西イチの夫婦漫才師に。

ところが、鳳啓助さんの不倫が発覚。啓助さんは京唄子さんの可愛がっていた後輩女優と不倫していたのです。しかも、2人の間には子供もできていました。

京唄子さんは啓助さんと離婚。当時の夫婦漫才は離婚=解散を意味しており、二人も解散すると思われました。ところが、京唄子さんは元夫とのコンビ継続を決断しました。元旦那にだからできるつっこみが世間に大ウケ。これまでになかった離婚ネタを武器に35年以上一緒に舞台に立ち続けました。

その後、京唄子さんは10歳年下の殺陣師・萩清二(はぎせいじ)さんと59歳で熟年結婚。世間を驚かせました。1993年、京唄子さんは「渡る世間は鬼ばかり」の新レギュラーに。そして第2シリーズから最終シリーズまでの18年間、強烈な姑役を熱演しました。

そんな京唄子さんに異変が起きたのは2008年の秋。腰に違和感を感じ、接骨院に通い始めました。軽いぎっくり腰だろうと考えていましたが2009年の春、舞台稽古中に腰に激痛が走り起き上がれなくなってしまいました。腰椎圧迫骨折でした。完治までに何年かかるか分からず全ての仕事をキャンセルすることに。

治療に専念すること1年、「渡る世間は鬼ばかり」最終シリーズで女優復帰を果たしました。しかし、ふっくらした姿はなくげっそりと痩せ細っていました。

京唄子さんは女優復帰のため高齢者の手術成功率30%という腰椎インストゥルメンテーション手術を受けました。手術は成功しましたが、腰椎粉砕骨折。手術を強硬したことで女優復帰どころか、24時間介護が必要な寝たきり状態になってしまいました。

そして、長年の寝たきり生活で食事も喉を通らなくなり声も出なくなりました。テレビも見ず、老いた自分の顔を手鏡で見て過ごすことが多くなったと言います。

そんな京唄子さんの生きる希望になっていたのは「渡る世間は鬼ばかり」です。実は、寝たきりになった後もスペシャルドラマが制作されるたびに出演オファーが来ていました。オファーのたびに渡鬼復帰を誓っていました。そのため、全てのお見舞いをシャットアウト。娘にも病弱な写真を撮ることを許しませんでした。

ところが2017年4月6日、容態が急変。6年という長い闘病の末、亡くなりました。京唄子さんの闘病の情報が一切もれなかったのは「必ず復活する」という強い意志と女優としてのプライドでした。

「爆報!THEフライデー」
あの人は今…大追跡2時間SP

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