ビリー・ハリス 英雄と呼ばれた夫 その死に隠された悲しき真実|アンビリバボー

ペギー・ハリスさん(94歳)は18歳の時、戦争によって夫と離ればなれになり、それ以来たった一人で生きてきました。しかし、60年以上の時を経て亡き夫が見せた生きた証がありました。

時は第二次世界大戦真っただ中の1943年。ペギーは飛行機の整備士としてアルタス空軍基地で働いていました。ビリー・ハリスは、陸軍航空隊のパイロットでした。

偶然基地で見かけたペギーに一目惚れしたビリーは、同じ整備士として働く父に仲介を頼みました。しかし、常に死と隣合わせの兵士と付き合うなどペギーには考えられませんでした。そこで、手紙で堅苦しい女をアピールし彼に諦めさせようとしました。ところが、ビリーはますます惚れ込み、それまで以上に頻繁に手紙を送ってくるように。

ビリーは勤務の合間をぬって、戦争で命を落とした兵士の遺族のもとを弔問に訪れていました。ビリーの優しい一面を知り、いつしかペギーも彼に惹かれるようになっていきました。そして、文通を始めて数か月後、2人は初めて対面。すぐに恋に落ちました。

そして、ビリーはペギーにプロポーズ。しかし、2人の幸せは長くは続きませんでした。結婚から6週間後、ビリーはヨーロッパ戦線へ送られることになったのです。

ビリーがヨーロッパに送られて9か月が経った頃、ビリーが戦地で行方不明になったという知らせが届きました。ペギーは軍や政府に夫の調査を何度も依頼しましたが、彼の最後を見た者はおらず生死すらも分かりませんでした。やがて戦争は終結。多くの兵士が帰還を果たす中、ビリーの行方は一向に分かりませんでした

それでもペギーは決して再婚しようとはしませんでした。ペギーは夫への愛を胸に、たった一人で人生を歩みました。

そして2006年3月、ペギーのもとにビリーの従弟ハーヴェイが訪ねてきました。実はハーヴェイはビリーの消息を調べていたのです。ビリーは戦闘中にドイツ軍機に撃墜されフランスで戦死していたのです。ペギーは夫がどんな場所でどんな最期を遂げたのか知るためフランスへ行くことにしました。

ビリーの機体が墜落したのは、フランス北西部のレ・ヴォント村でした。村を訪れると「ビリー・ハリス広場」というビリーの名前が付けられた広場がありました。名前の下には「アメリカ軍パイロット」と彼の生没年まで記されています。さらに、戦争で戦った兵士を讃える記念碑にはビリーの名前が刻まれています。遠い異国の地で英雄と称されるビリー。一体何があったのでしょうか?

1944年7月17日、ビリーの機体はフランスの北西部の上空を飛行。イギリスにある駐屯地に戻ろうとしていました。しかし、ドイツ軍機から奇襲を受け機体は急降下。残された道はパラシュートでの脱出のみでした。しかし、目の前には集落が広がっていました。このまま機体を捨てて脱出すれば村に墜落してしまいます。

ビリーは脱出しませんでした。機体は村の直前で方向を変えて、すぐ横の森に墜落しました。ビリーは自分の命が尽きる寸前まで、村を守ろうとしたのです。村人たちは自らを犠牲にしたビリーを讃え、村を救った英雄として手厚く弔いました。そして、ビリーの死後60年以上に渡り、毎年慰霊祭を行うなど彼の勇気を村全体で語り継いでいました。

ビリーの妻が村に来ていることを知った村人は、彼女を大いに歓迎しました。夫の名がつけられた広場では式典が営まれ、村中から300人を超える人々が集まりました。

あの場所に立った時、確かにビリーの存在を感じることが出来ました。最後まで他人の事を一番に考える私が愛したままの人だったと改めて気づかせてくれました。(村での出来事は)夫が私に見せてくれた深い愛の現れだったんだと思います。(ペギー・ハリスさん)

11年前にレ・ヴォント村を訪れて以降、ペギーさんは毎年夫の慰霊祭に参加し続けています。73年前の夫の行動が国境を越えた交流を生み、今もなおアメリカとフランスの間に新たな絆を作り出しています。

「奇跡体験!アンビリバボー」
行方不明の夫!明かされる真実

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