元寇で神風は本当に吹いたのか?|137億年の物語

13世紀、ユーラシア大陸の大部分を支配したモンゴル帝国。モンゴル帝国の皇帝フビライ・ハンは都を北京に移し、国の名を元としました。モンゴル民族は支配地域を拡大し、海を越え新たな土地に狙いを定めました。鎌倉時代の日本です。

 

文永の役

最初の襲来は1274年の文永の役です。900隻の船に3万2000人の兵隊がやってきました。対する日本軍はわずか3000人でした。元の軍隊は対馬、壱岐を制圧し博多湾へ。戦い方も全く違いました。

 

当時の日本は一騎打ちが基本でした。対する元は太鼓の合図で一斉に攻撃をしかける集団戦法。また、元の軍隊には鉄砲(てっはう)もありました。

 

元の軍隊に攻め込まれ博多は火の海に。ところが、神風が吹いて元の船を一掃したと考えられてきました。しかし、近頃この説は間違っていたと言われています。

 

神風は吹かなかった

 

元がやってきたのは11月。台風の季節ではありません。

 

ある資料には元の軍隊の矢が尽きたと書いてあります。最初から日本を侵略しようとしたのではなく、威嚇だったのではないかと言われているのです。

 

弘安の役

そして1281年の弘安の役。元の軍隊は二手に分かれて攻めてきました。東から4万の兵、南からは10万の兵。

 

この船には兵士だけでなく農民や商人、農機具や家畜まで乗せていたと言われています。占領した後、日本に住み着こうと考えていたのです。

 

日本も九州に6万5000人の武士を集めていました。さらに、博多湾沿岸に石を並べ20kmにも渡る防塁を作っていました。

 

まず、博多湾に辿り着いたのは東から攻めてきた4万の軍。しかし、日本は元の軍隊よりも射程距離の長い弓矢を用意していました。また夜になると小船で近づき火のついた矢を放ちました。

 

神風が吹いた!

そして10万の元の兵が近づいた時、激しい暴風雨が吹き荒れました。世界最強を誇った元の軍隊は神風によって、そのほとんどが壊滅したと言われています。

 

幕府の衰退に繋がった

博多湾に築かれた防塁は、幕府が周辺の武士たちに建設を命じたものでした。しかし、費用はすべて持ち出しで武士たちは不満をつのらせたと言います。

 

当時の武士は戦いで功績をあげることで幕府から領地をもらえました。しかし、元との戦いでは満足な恩賞を貰えませんでした。

 

鎌倉幕府は神風によって最大のピンチを乗り切りましたが、結局その奇跡の勝利が幕府の衰退に繋がってしまいました。

 

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