ジャクリーン・ケネディ アメリカ史上、最も嫌われ最も愛されたファーストレディ|世界のコワ~イ女たち

ジャクリーンは、ニューヨーク郊外の資産家の家に生まれました。幼い頃から型破りな性格で、卒業後は新聞社「ワシントン・タイムズ・ヘラルド」に入社。女子ジャーナリストはまだ珍しい時代でした。

 

友人宅のホームパーティーに招かれた時に、上院議員になったばかりのジョン・F・ケネディと出会いました。「政界一の女たらし」と呼ばれたジョンに、ジャクリーンの心は動きました。ジャクリーンはスピーチの原稿作りなど仕事をサポートし、ジョンの欠かせない存在になりました。

 

できる女だけでなく、ちょっとドジな女を演じたと言います。ジョンからのプロポーズも一度断り、相手をより燃えさせ、出会いから2年後に2人は結婚しました。

 

1960年の大統領選挙、相手候補はニクソンでした。ジャクリーンは、テレビ討論会の時のスーツ選びで存在感をアピール。そして、ジョンは第35第アメリカ大統領になりました。

 

ジャクリーンは、就任早々ホワイトハウスを改装。たった1ヶ月で年間維持費を超え、浪費家などと批判されました。しかし、改装したホワイトハウスをテレビで公開。政府の好感度がアップ、費用以上の効果をもたらしました。

 

今までファーストレディは夫を影で支える存在でしたが、ジャクリーンは夫以上に目立っていました。「ジャッキールック」と呼ばれるファッションは世界中で流行。無駄使いと批判する人もいましたが、ファッショナブルなファーストレディは世界中で愛されました。

 

1963年、テキサス州ダラスでジョン・F・ケネディは暗殺されました。葬儀の手配は全てジャクリーンが執り行いました。強く美しいその姿は、世界中の涙を誘いました。彼女は生涯、英雄の妻としていき続けると全米中が望んでいました。

 

しかし、5年後ジャクリーンはギリシャの海運王アリストテレス・オナシスと再婚しました。お金のためなら手段を選ばない23歳も年上の男です。そして、ジャクリーンは豪遊生活を送りました。

 

1975年にオナシスは死去。ジャクリーンは2600万ドル(約78億)の遺産を手にしました。そして、知り合いだった宝石商モーリス・テンペルズマンと同棲を開始。頭がハゲ上がり小太りの男ですが、文学や芸術の趣味がピタリと合ったと言います。

 

1994年、ジャクリーンは64歳でリンパ腺がんでこの世を去りました。遺言を残していました。

ジョンが眠るアーリントン墓地に埋葬して欲しい。

これにアメリカ中が物議をかもしました。大統領の墓に入るには議会の承認が必要でした。それでも賛成多数で承認され、ジャクリーンはジョンと同じ墓に入りました。

ジャクリーンはアメリカ史上最も嫌われ最も愛されたファーストレディです。

 

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