こまどり姉妹の過去 襲撃事件&がんで余命1ヶ月&借金1億円|爆報!THEフライデー

こまどり姉妹(こまどりしまい)は1959年のデビュー以来、数多くのヒット曲を飛ばしました。NHK紅白歌合戦には7回連続出場。演歌界のアイドルとして絶大な人気を誇りました。

現在74歳のこまどり姉妹はド派手なファッションに身を包んでいます。演出家の蜷川幸雄さんは、こまどり姉妹の2人に惚れこみ舞台への出演を依頼。40年間オファーし続けた待望の作品が2012年2月に出来上がりました。さらに、こまどり姉妹を題材にした映画も上映され若い世代からも大反響を呼びました。

おいたち

こまどり姉妹が生まれたのは1938年、北海道釧路です。生活は貧しく毎日食べていくのがやっとでした。

11歳の時、父が結核にかかり職を失い、父の代わりに2人は店や人前で歌う流しの仕事をしました。しかし、稼ぎは1日10円~20円。駅のホームで寝泊りする生活が続きました。空腹に耐え切れないときは、畑から野菜を盗み、雑草を食べたと言います。そんな極貧生活は1年も続きました。

東京へ 歌手デビュー

そんなある日、東京に行った方がお金になると男に言われ家族で上京し、浅草で流しの仕事を始めました。しかし、お金を払ってもらえなかったりお金を奪われることもありました。それでも努力が報われ、17歳の時には料亭に呼ばれ政治家や社長の前で歌を披露するように。

そして日本コロンビア社長の泰米造さんの目にとまり、1959年21歳で「浅草姉妹」で歌手デビューを果たしました。100万枚のミリオンセラーとなりました。

そして、デビューから3年でNHK紅白歌合戦に初出場。この年から7年連続で紅白出場を果たしました。紅白に出ることでギャラがアップするのが嬉しかったと言います。

紅白で知名度が上がると、こまどり姉妹には出演の依頼が殺到。それぞれ自宅を購入し裕福な生活になりました。

ところが28歳の時、鳥取での公演中にステージ上に男が上がってきて妹は左腕と左脇腹を刺されてしまいました。犯人はこまどり姉妹の熱狂的なファンでした。その後、犯人は自殺。この事件がトラウマとなった妹は、ステージに上がれる状態ではなくなってしまいました。

そんな時、事務所の社員がお金を持ち逃げ。税金としておさめるために用意していたお金を持ち逃げされ、2人は脱税疑惑をかけられてしまいました。こまどり姉妹はお金を支払うために舞台で歌い始めました。

ようやく借金返済の目処がついた矢先、妹が絨毛がんに犯されてしまいました。がんは肺にまで転移していて、余命1ヶ月と宣告されました。どうしても妹に助かって欲しかった姉は、新薬の実験になることを受け入れました。

新薬の副作用で妹の髪は抜け、体重は20kg台に。姉は高額な治療費のため、1人で舞台に立ちました。治療費のため姉は1億円の借金を負うことになりました。妹はがん宣告から2年で自宅療養できるまでに回復しました。

1973年、こまどり姉妹は芸能界の第一線から姿を消しました。残っていた1億円の借金は音楽教室やスナックで働き地道に返済しました。

その後、妹のがんは奇跡的に再発せず現在は元気な姿で再び舞台へと立っています。

「爆報!THEフライデー」

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