ビューティ・ペア 不仲の20年間|爆報!THEフライデー

1976年、マキ上田さんとジャッキー佐藤さんで「ビューティ・ペア」が結成され、女子プロブームを巻き起こしました。デビュー曲「かけめぐる青春」は80万枚の大ヒット。試合前にリング上で歌を披露する斬新な演出、宝塚を思わせる男前のルックスが世の女性たちを魅了しました。

ファンレターは月に3000通。当時のアイドル、ピンク・レディーや山口百恵さんらに負けない人気を誇りました。

しかし、人気絶頂の中ビューティ・ペアは解散。マキ上田さんはレスラーを引退しました。そして1999年8月、ジャッキー佐藤さんが胃がんのため死去しました。

引退から33年、53歳になったマキ上田さんは浅草の釜飯屋「釜飯の田毎」で女将をしています。5年前に行きつけの飲み屋で知り合った潤さん(64歳)と結婚し、夫の店を手伝っているのです。

実は、マキ上田さんとジャッキー佐藤さんはプライベートでは遊んだことがなく、特に仲は良くなかったと言います。社交的なマキ上田さんに対し、一匹狼のジャッキー佐藤さん。性格が間逆な2人に会話はほとんどありませんでした。

そして、結成から3年目、マキ上田さんはビューティ・ペアの限界を感じ始めていました。マキ上田さんは、ジャッキー佐藤さんに相談することなく独断でビューティ・ペアの解散を社長に訴えました。すると社長は「直接対決で負けた方が引退」と言ってきたのです。

前代未聞のコンビ対決は大きな話題をよび、不仲説などいろいろ噂されました。そして、ジャッキー佐藤さんが勝利しマキ上田さんは引退しました。2人は会話をすることもなく別れ、わだかまりが残る別れとなりました。

引退試合後、2人は20年間いっさい連絡を取り合いませんでした。引退から数年後、ジャッキー佐藤さんは都内で体操教室を開きインストラクターとして活躍していました。一方、マキ上田さんは地元の鳥取でスナックを経営していました。

解散から20年の節目に、マキ上田さんはジャッキー佐藤さんに連絡を取ってみました。そして1998年、1夜限りビューティ・ペアは復活。翌日、意気投合した2人は温泉旅行へ。2人がプライベートで遊ぶのはこの時が初めてでした。20年間のわだかまりなど無かったかのような楽しい時間だったと言います。

後日、ジャッキー佐藤さんから1通の手紙が届きました。ようやく歩み寄れたとマキ上田さんは心の底から喜びました。しかし、その後2人で会うことはありませんでした。

再会から1年後の1999年にジャッキー佐藤さんは胃がんのため他界したのです。マキ上田さんは後輩からの電話でジャッキー佐藤さんの死を知りました。もちろん病気だった事も知らされていませんでした。

ジャッキー佐藤さんがマキ上田さんに連絡しなかったのは、「マキさんに情けない姿を見せたくない」という思いがあったからでした。元気になって笑顔で会いに行きたいと思っていたのです。ジャッキー佐藤さんは最後まで病魔と闘っていたのです。

「爆報!THEフライデー」

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