ホイットニー・ヒューストンの転落人生|爆報!THEフライデーVSサンデージャポン

TBSテレビの「爆報!THEフライデーVSサンデージャポン」でホイットニー・ヒューストンの転落人生について放送されました。

 

ホイットニー・ヒューストンはアメリカ・ニュージャージー州で誕生しました。幼くして教会の聖歌隊に所属。母親が元歌手だった影響もあって11歳でソロパートをまかされるほどの天才少女でした。そして1983年、20歳でプロデビュー。他を圧倒するパワフルな声は瞬く間にアメリカ国内を席巻。全米1位のデビューアルバムの総売上枚数は2500万枚。世界で最も売れたデビューアルバムとなりました。さらに、シングル7曲が連続で全米1位を獲得。グラミー賞を6度も獲得。その歌声は「ゴールデンボイス」と評されました。

 

当時、ホイットニー・ヒューストンのレコード会社との契約金は日本円で120億円。この金額はマライア・キャリーやマドンナも超えることが出来なかった桁外れの大記録です。自宅は6000坪の敷地に温泉やレコーディングスタジオを完備した大豪邸。その総資産は300億円と噂されました。

 

ホイットニー・ヒューストンの恋の噂になった相手はエディー・マーフィー、ロバート・デ・ニーロ、マイケル・ジャクソン、プリンスなど。しかし、ホイットニー・ヒューストンが選んだ1人の男がその後の人生を大きく狂わせました。ボビー・ブラウンは当時アメリカの若者たちに熱狂的に支持を受けたファッションリーダーでした。ボビー・ブラウンに一目ぼれしたホイットニー・ヒューストン。5歳年上のホイットニー・ヒューストンがプロポーズし1992年に2人は結婚。翌年には長女クリスティーナを出産しました。

 

しかし、映画「ボディガード」の宣伝でホイットニー・ヒューストンは家を空けることが多くなりました。夫のボビー・ブラウンは仕事が激減。一発屋と罵られ無職同然の状態でした。仕事のない自分と、誰からも愛される妻の埋められない差に強烈な嫉妬心を抱いていたのです。この頃からボビー・ブラウンは酒に溺れるようになっていきました。そして、ホイットニー・ヒューストンが留守がちなのをいいことに浮気を繰り返しました。派手な夜遊びの支払いはホイットニーのカード。ボビー・ブラウンの行動はゴシップ誌に「最低のヒモ男」と書き立てられました。当然このスキャンダルはホイットニー・ヒューストンも知ることに。そしてボビー・ブラウンからのDVが始まりました。ホイットニー・ヒューストンは夫に逆らえなくなっていきました。そして、ボビー・ブラウンはホイットニー・ヒューストンにドラッグを強要。いつしかホイットニーも薬物中毒になってしまったのです。

 

2000年、ホイットニー・ヒューストンは大麻所持の容疑でハワイの空港で身柄を拘束されました。この頃、ホイットニー・ヒューストンは激やせし、体重は18キロも減ってしまっていました。そんなホイットニー・ヒューストンにも転機が訪れました。それは最愛の娘からの「家を出て2人で暮らそう」と言われたことでした。そして2006年10月、ホイットニー・ヒューストンはボビー・ブラウンと離婚。「牛乳と砂糖を買いに行ってくる」といって、そのまま逃げるようにボビー・ブラウンのもとを去りました。

 

ホイットニー・ヒューストンは歌手として復活を誓い、薬物更正施設でリハビリを続けました。そして2009年、6年ぶりのアルバムを発表し全米1位を獲得。多くのファンが待ち望んだコンサートを開催しました。ところが、高音が出ず歌を途中でやめてしまいました。人々を魅了したゴールデンボイスは失われてしまっていたのです。

 

そんな中、娘がドラッグに手を出しました。ホイットニー・ヒューストンは別人のようになり奇行を繰り返すように。また、激やせから激太りに。そして2012年2月11日、48歳で亡くなりました。死因はコカインの影響による心臓発作と言われています。雑然としたホテルの1室で、ホイットニー・ヒューストンは誰にも看取られることもなく一人浴槽の中で息を引き取りました。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

コメントは管理人の承認後に表示されますのでしばらくお待ち下さい。管理人からの返信はありませんのでご了承ください。