三原じゅん子 2度の離婚・流産・がんを初激白|爆報!THEフライデー

TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」で三原じゅん子さんが2度の離婚・流産・がんについて初激白していました。

 

三原じゅん子(みはらじゅんこ)さんは14歳で芸能界デビュー。中学2年生の時、「金八先生」の不良役で大ブレイク。その後も芸能界で脚光を浴び、カーレーサーとしても活動しました。そして26歳の時、先輩カーレーサーと結婚。すぐに妊娠しました。ところが妊娠4ヶ月で流産。三原じゅん子さんは女優業とレーサーを妊娠しても変わらずし続けた結果、体に負担をかけすぎて流産してしまったのです。三原じゅん子さんは苦しみから逃れようと、10日後にカーレースに参戦。そんなボロボロの精神状態の三原じゅん子さんを待っていたのは大クラッシュ事故。肩甲骨にヒビ、肋骨骨折と全治1ヶ月の重傷をおいました。結局、子供を失った寂しさを夫婦2人で埋めることは出来ず結婚から8年で離婚しました。

 

そんな心の隙間を埋めてくれたのが、お笑い芸人のコアラさん。ダイエット本を出版するコアラさんのコーチを三原じゅん子さんがつとめたことがきっかけで交際がスタート。年下のコアラさんの陽気さが傷ついた三原じゅん子さんの心を癒やしたのです。そして交際6ヶ月で結婚。翌年、待望の妊娠。ところが妊婦検診で赤ちゃんの心音がないと言われていまいました。その後、35歳をすぎた三原じゅん子さんは諦めることなく夫と不妊治療に励みました。しかし三原じゅん子さんが妊娠することはなく、夫との距離は離れていきました。そして2度目の離婚にいたりました。

 

三原じゅん子さんが44歳の時、人間ドックで子宮頸部に腺がんが見つかりました。子宮頸部にできる腺がんは見つけにくく治りにくいがんと言われています。そして三原じゅん子さんは子宮を全摘出することに。そんな三原じゅん子さんに生きる勇気を与えてくれたのが武田鉄矢さんでした。武田鉄矢さんは自身が脚本を書く舞台に三原じゅん子さんを主要キャストとして招いてくれたのです。

 

舞台後、三原じゅん子さんは「がんの撲滅運動」を働きかけ全国各地で講演会を開き、より多くの患者の声を反映させるため政界を目指しました。しかし当時、三原じゅん子さんの思いを知らない人は「タレント候補」とレッテルを張りバッシング。それでも地道に全国を回り2010年、参院選で当選。以来、三原じゅん子さんは芸能界の仕事を一切辞め議員として子宮頸がんのワクチン接種無料化など医療制度改革を主張しがん撲滅に取り組み続けています。




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