梨元勝の娘が父との確執を激白|爆報!THEフライデー

芸能リポーター梨元勝(なしもとまさる)さんは、2010年にこの世を去るまで、常に働き続けた仕事大好き人間です。スクープのニオイをかぎつけると、どんな場所でも突撃取材。1990年、勝新太郎さんの薬物密輸事件では、取材するためにハワイから同じ飛行機に搭乗。どんな場所にでも常に顔を出し取材しました。

しかし、その強硬な取材スタイルは芸能人から訴えられるなど、数々の遺恨を残し世間からは「えげつない!」「人の不幸にたかるハエ」などと批判されることも多かったのです。

そんな梨元勝さんには一人娘・梨元麻理奈さんがいます。麻理奈さんによると仕事人間だった父は家にいることが少なく、親子の会話はほぼなかったと言います。麻理奈さんは父の事が嫌いだったと激白していました。

小学校の頃から家には梨元勝さんの取材相手の熱狂的なファンから苦情の電話がよくかかってきたそうです。ひどい時には夜中まで電話が鳴り止まなかったと言います。

また、麻理奈さんは芸能人が多く通う有名学校への進学を希望していましたが、芸能リポーターの娘ということで入学を拒否されてしまいました。

中学生になると、父親の存在すら嫌いになっていました。麻理奈さんは父から逃げるかのように日本を離れ海外留学。高校3年間を父と離れて過ごしました。

ところが、2010年6月に梨元勝さんの肺がんが発覚。麻理奈さんが病院へ行くと、父はインターネットで闘病の様子を配信するなど仕事をしていました。がん発見から2ヵ月半後、梨元勝さんは亡くなりました。

梨元勝さんが亡くなった日の夜、麻理奈さんは病院に残された荷物の中から1冊のノートを発見しました。それは闘病中に願い事を10個だけ書き込み、自らの励みにしていたノートでした。そこには、がんと闘う男の本音が綴られていました。その中には「麻理奈が頑張れますように」「家族の絆がこのまま続きますように」という言葉が綴られていました。

そして1ヵ月後に行われた梨元勝さんのお別れ会には1000人もの人が訪れました。中にはスクープを狙われたはずの芸能人たちが。大嫌いだった父の仕事は多くの人から認められていたのです。

麻理奈さんはその日、大嫌いだった父にずっと言えなかった一言「大好きだよ」と伝えました。麻理奈さんは現在、梨元勝さんが残した梨元勝事務所を受け継ぎタレントとして頑張っています。

「爆報!THEフライデー」

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