終身刑の美女ローリー・ベンベネクが脱獄|ザ!世界仰天ニュース

日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース」で終身刑の美女の執念の脱獄について放送されました。1981年アメリカ・ウィスコンシン州ミルウォーキーで30歳のシングルマザー、クリスティン・シュルツが殺害される事件が起こりました。クリスティンは口をふさがれ両手をロープで縛られ至近距離で背後から射殺されていました。元夫のエルフレッド・シュルツはミルウォーキー警察の刑事で、クリスティンとは離婚し半年が経っていました。エルフレッドはローリー・ベンベネク(22歳)と再婚していました。ローリーもミルウォーキー警察の元警官です。ローリーは警官になる前モデルをしていたほどの美人。エルフレッドは若いローリーに心奪われ家庭を捨てたのです。

 

疑われたのはエルフレッドとローリーでした。2人の家からは銃とクリスティンの家の合鍵が見つかりました。またアパートの配水管からはトイレで流したと思われるカツラも発見されました。エルフレッドの家の銃と被害者の体に残った銃弾が一致。またクリスティンのベッドから見つかった2本の毛髪は配水管で見つかったカツラの毛と一致しました。そして事件から1ヵ月後ローリーが逮捕されました。警察がローリーの犯行としたのは、豪華な家も元妻クリスティンに取られていたことと、養育費のせいで2人の生活が苦しかったことです。またローリーにはアリバイを証明する人がいなかったことです。エルフレッドは事件があった時間バーで酒を飲んでいたことでアリバイが成立していました。

 

1982年全米注目の裁判で驚かされたのはローリーの派手なファッションでした。被告らしくないと論議が巻き起こる中、ローリーはメディアを使って無実を淡々と訴えました。裁判では警官時代の同僚ジュディー・ゼスが「報酬をあげるからクリスティンを殺す気ないか」と言われたと証言しローリーは不利に。派手なファッションとメイクも変わらずローリーはアメリカ国民の反感をかい有罪に。仮釈放なしの終身刑になってしまいました。

 

ローリーの弁護士が事件を調べなおしていると、ジュディーの証言は警察に強要されていたものだと判明。ローリーは警察にハメられたのだと確信しました。それはローリーが警察に勤めていた頃、上司たちの公金の不正使用や横領に気づき解雇されてしまっていたからです。三度の再審請求も却下され8年の月日が流れました。

 

そして証拠のデータも捏造であることも判明。警察側からの圧力があったといいます。変装に使われたとされるカツラとベッドの毛が一致したというのはウソでした。またエルフレッド家の銃に使用された形跡はなく、被害者の体内にあった弾とも一致していませんでした。そんなデタラメな証拠で判決は下されたのです。

 

その頃、ローリーは脱獄を考え始めました。刑務所の同室受刑者の兄ドミニク・ググリアトと仲良くなり脱獄を協力してもらうことに。1990年7月、ランドリー室の窓から脱獄しドミニクと落ち合いました。偽の出生証明書で2人は無事にカナダへ。その頃アメリカではローリーの脱獄のニュースで大騒ぎに。特に衝撃を受けたのはエルフレッドでした。エルフレッドは裁判までは夫としてローリーを支えていましたが有罪となり彼女が刑務所に送られるとすぐに離婚を要求。しかも、すぐに20歳の女性と再婚し刑事の仕事も辞めフロリダに引越し新たな生活を始めていました。一方、ローリーはカナダでドミニクと暮らしながら動き始めていました。

 

ローリーの脱獄で事件が再び脚光を浴びたことにより驚きの事実が浮かび上がっていました。それは事件があった日、エルフレッドはフレデリック・ホレンバーガーという男と会っていたことです。フレデリックは多くの犯罪歴を持つ男でジュディの元彼でした。フレデリックは事件の後、窃盗で逮捕され刑務所ではクリスティンを殺したのは自分だと自慢気に話していました。しかも依頼してきたのはエルフレッドだというのです。

 

脱獄から3ヵ月後、ローリーは見つかり再び刑務所へ。メディアはこぞってローリーの事件を検証し新たな事実が次々と明るみに。なんと殺されたクリスティンの体からエルフレッドではない男性の体液が発見されていました。そして事件の夜、現場近くでフレデリックの姿が目撃されていました。しかしフレデリックは刑務所内で自殺していました。数々の報道をうけ国内ではローリーの釈放を求める運動が起こり、疑惑の証拠隠しをした警察に抗議と事件解明を求める声が高まりました。

 

そんな時、警察がローリーに司法取引を提案してきました。それは終身刑を懲役20年にし10年の仮釈放にするというもの。刑が執行されてすでに10年が経っていたので、これをのめばローリーはただちに仮釈放となるものでした。ただし、今後無実の主張をしないことが条件でした。ローリーは悩んだ末、司法取引に応じました。そして1992年11月、ローリーはメディアを集め会見を開き、暗に無実であることを訴えました。しかし、無実を追求する裁判はもう開かれることはありません。

 

ローリーは脱獄を手助けしてくれたドミニクとも会うことはなく、支援者に励まされながらも孤独な日々をすごしました。やがてメディアも国民もローリーのことを忘れ2010年11月にローリーは呼吸不全のため死亡しました。52歳の若さでした。




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