大鵬の不遇に満ちた晩年|爆報!THEフライデー

2013年1月19日に逝去した昭和の大横綱・大鵬(たいほう)は、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ偉大なる国民的ヒーローでした。優勝回数は史上最多の32回。これは40年以上経った今も破られぬ金字塔です。

強さだけにとどまらず、その人気はすさまじいものでした。ロシア人の父と日本人の母を持つハーフだった大鵬は、その端正な顔立ちで女性たちを魅了。毎月1500通を超えるファンレターが届いたと言います。

さらに、放課後になると大鵬に憧れ相撲をとる児童であふれ、少年漫画誌の表紙を飾りました。しかし、その晩年は不遇に満ちた苦難の日々でした。

結婚

大鵬と妻・芳子さんの出会いは1965年、大鵬が東北巡業の時、芳子さんの旅館に宿泊したのがきっかけでした。大鵬の一目惚れで交際が始まり翌年2人は電撃結婚

式を執り行った帝国ホテルには各界から2000人が来場。なんと6000万円もの費用をかけ盛大に行われました。

脳梗塞

結婚から4年後、大鵬は31歳で横綱を引退。今後は親方として部屋を開くことになりました。

しかしその矢先、36歳の若さで脳梗塞を発症してしまいました。一命はとりとめたものの後遺症で左半身不随に。弟子に稽古をつけられない親方として弟子たちは次々と部屋を離れていきました。

それでも大鵬は妻の笑顔に励まされ、親方としての再起を目指しリハビリを行いました。地道なリハビリを続けた結果、2000年に60歳を迎えた横綱だけができる還暦土俵入りを果たしました。

晩年

ところが2008年、大鵬に認知症のような症状が現れはじめました。このとき、体が弱り自力で呼吸することが難しくなっていた大鵬は、脳への酸素供給がおいつかず意識が朦朧とすることが多くなっていました。そのため1日に同じ質問を20回以上繰り返して尋ねることも。テレビのリモコンと携帯電話を間違えることもあったそうです。

2012年には心臓も弱まり入退院を繰り返すように。そして2013年1月19日、大鵬は亡くなりました。

相撲を愛し相撲に生きた大鵬。国民に勇気を与え続けたその熱い魂は今、3人の孫たちに受け継がれています。

「爆報!THEフライデー」

この記事のコメント