ROGUEの奥野敦士 歌えなくなったアーティストの友情秘話|アンビリバボー

「終わりのない歌」は28年前ROGUE(ローグ)のボーカル奥野敦士(おくのあつし)さんが作詞作曲した曲です。彼は今、群馬県にある障害者支援施設で重度の障害者として暮らしています。正常に動くのは胸から上の部分だけ。肘から先の手も自由がききません。食事すら介護を要する体です。

 

奥野敦士さんと香川誠(かがわまこと)さんは18歳で上京。音楽の専門学校で出会った彼らは意気投合し共にメジャーデビューを目指しました。そして22歳の時、2人が中心となり結成したROUGE(ローグ)がメジャーデビューを果たしました。

 

奥野敦士さんの天才的な歌唱力と香川誠さんの圧倒的なギターのテクニックで、ROUGEは日本の音楽シーンにその名を刻みました。代表作は奥野敦士さんが作詞作曲をてがけた「終わりのない歌」です。そして1989年、日本武道館で行われた単独ライブでROUGEは8000人を動員。伝説のバンドとなりました。

 

しかし、翌年突如バンドは解散。それは奥野敦士さんのソロ活動をやりたいという一方的な理由でした。2人はわだかまりを抱えながら決別。それぞれ新しい道を歩み始めました。

 

奥野敦士さんはソロ活動のかたわら役者も兼業。その活躍は多岐に渡り、芸能生活を謳歌していました。一方、香川誠さんもギタリストとして氷室京介さんらと共演するなど、成功をおさめました。しかし、香川誠さんは自分が愛したバンドを奪われた悔しさを決して忘れることはありませんでした。そのためコンサート会場などで奥野敦士さんと顔を合わせても一切口をきかなかったと言います。

 

しかし、月日が流れるにつれ2人の境遇に変化が。奥野敦士さんは徐々に仕事が減り生活がすさんでいました。毎日浴びるように酒をあおり、いつしかバンド仲間が恋しくなっていました。そして順調に見えた香川誠さんもROUGEが恋しくなってきたと言います。ROUGE(ローグ)は再結成することになりました。

 

再結成のためにすさんだ生活から脱却したいと奥野敦士さんは酒を断つ事を決意。解体業の仕事をはじめ生活を一変させました。そして夜は復活ライブに向けて曲作りに精を出しました。

 

しかし、香川誠さんから再結成の電話があった4ヵ月後の2008年9月11日、奥野敦士さんは地上7mの屋根からコンクリートの床に転落してしまいました。頸随を損傷し胸から下が全く機能せず完全介護の身となりました。このとき香川誠さんは再結成を言わなかったら奥野敦士さんはケガをしなかったかも知れないと思ったそうです。

 

奥野敦士さんは日常会話は出来るものの、歌うための腹式呼吸ができなくなっていました。絶望のどん底に陥っていた奥野敦士さんですが、車椅子の安全ベルトをきつくしめお腹に圧力をかけることで歌声が出せることに気づきました。それ以降、毎日声のリハビリを繰り返しました。

 

そんな頃、友人たちが奥野敦士さんのトリビュートライブを企画・実現させました。しかし、そこに香川誠さんの姿はありませんでした。それは応援することで逆にプレッシャーになってしまうのではないかと考えたからです。

 

歌のリハビリを開始してから1年半が過ぎた頃、奥野敦士さんは自分の歌っている姿を撮影しインターネットに公開しました。すると、歌を聴いた友人たちから驚きの声が届きました。しかし、香川誠さんは決して動画を見なかったと言います。ハンディキャップがある人ががんばっているという感じに見えるのが怖かったからだと言います。ファンを魅了させたあの歌声を知るからこそ同情したくなかったのです。そして事故から4年目の夏、運命を変える出来事が起こりました。

 

2012年8月、ミスチルの桜井和寿さんが車椅子で歌う奥野敦士さんについてライブで熱く語ったのです。このライブを偶然、香川誠さんが目にしていました。会場で流された映像で初めて奥野敦士さんの歌声を聞きました。

 

香川誠さんは奥野敦士さんの元へ向かいました。「ROUGEを再結成しないか?」という言葉を伝えるためにです。さらに、どうせやるならと香川誠さんの発案でチャリティコンサートとして開催。収益金で福祉車両を購入し、前橋市に寄付することになりました。

 

2013年10月19日、23年ぶりに香川誠さんが待つステージに奥野敦士さんが戻ってきました。ROUGE時代の曲を7曲熱唱。最後はもちろんファンが待望する「終わりのない歌」。かけがえのない絆が復活したのです。

 

再結成を記念してCDも発売されました。またROUGEは2014年7月にもライブが決定しています。

 

「奇跡体験!アンビリバボー」

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