森繁久彌の残された家族は今…知られざる最期|爆報!THEフライデー

昭和の大スター森繁久彌(もりしげひさや)さんと言えば、1956年から始まった喜劇映画「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」で喜劇役者として大ブレイク。彼の出演作品は映画だけで約300本。さらに、舞台「屋根の上のバイオリン弾き」では上演回数900回、20年に渡り主演をつとめました。

 

長きにわたる活躍で1991年には文化勲章を受章するなど、数多くの栄誉に輝きました。しかし、2009年11月10日に亡くなりました。

 

 

森繁久彌さんが暮らした都内の800坪の大豪邸が消えているという噂が。長年、千歳船橋に住んでいた森繁久彌さんは、世田谷区の名誉区民になっていました。さらに、2010年に駅から森繁久彌さんの自宅まで660mの公道を区が森繁通りと名付けました。しかし、そんな森繁久彌さんの豪邸は今はマンションが建っています。

 

実は13年前、森繁久彌さんは自宅を売却。敷地面積800坪の土地にマンションが建設されたのです。晩年の森繁久彌さんは、そのマンションの一室に暮らしていました。現在はその部屋に森繁久彌さんの次男・森繁建(もりしげたつる)さんとその妻が住んでいます。

 

生前の森繁久彌さんといえば、女性へのスキンシップが大好きなことでも有名でした。何と建さんの奥さんを呼び寄せ添い寝することもあったと言います。これが森繁久彌さんの愛情表現でもありました。

 

しかし、これほど有名だった森繁久彌さんがどのようにして亡くなったのか、その詳細は報じられていません。そんな森繁久彌さんの最期を建さんが初告白していました。

 

2009年7月、いつものように家族で食事をしていると、森繁久彌さんは食事を喉に詰まらせてしまいました。救急搬送され極秘入院。身体が弱る中でも病室にはいつも笑いがあったと言います。

 

入院から4ヶ月、回復の兆しも見せぬまま徐々に体が弱っていきました。心電図を前に家族で雑談をしていると、森繁久彌さんの心臓が止まりました。しかし、30秒後に息を吹き返したと言います。安心したのもつかの間、15分後にはまた心肺停止に。しかし、また息を吹き返しました。夜8時から始まった15分に1度の心肺停止は、朝8時まで12時間繰り返されました。

 

あまりの出来事に病室には笑いがこぼれたと言います。そして病室が温かな笑いに包まれる中、森繁久彌さんは安らかに眠りにつきました。享年96。生前、森繁久彌さんはこんな言葉を残しています。

 

演技も人生も几帳面にやらず少しボケるのがコツ。そんなに大層なことはこの世にひとつもない。大概笑ってごまかせることだ。

(森繁久彌さん)

 

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あのスターの残された家族は今…

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