サブカルチャーが迎えた「世紀末」|ニッポン戦後サブカルチャー史

NHK・Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ」で第4回 サブカルチャーが迎えた「世紀末」が放送されました。1989年、世界が音を立てて変わっていくようでした。そして迎えた90年代、正月の三が日の最後の夜「NHKスペシャル」で「いとうせいこう90年代論 噂だけの世紀末」が放送されました。1960年代に生まれた表現者たちが、まさに始まったばかりの90年代を読み解く噂だけの世紀末です。

未来が未来だったころ僕らはまだ帰るべき家を探す迷子だった。いつか僕らは未来を見失って帰るべき場所のない永遠の迷子・・・みなしごになった(中略)10歳だった僕はあの時、未来の中に・・・あれはまさに来るべき未来の予告編に見和えたのだが・・・(中略)世界はやがて万博会場のようになるだろう。パビリオンが街中に建設され動く歩道が都市空間に張り巡らされるだろう。幼い日のアルバムを開けば万博会場で笑う少年の写真。その瞳の中にあのありえなかったもう一つの未来が確かに映し出されていた。もしもあのまま高度経済成長が終わらなかったら・・・上昇グラフの折れ線棒が果てしなく上向きに上り続けていたら・・・しかし少年の瞳が本当に見たのは「公害」「ドルショック」「あさま山荘」「オイルショック」「ロッキード」いつの間にか僕らは未来を見失ってしまった(中略)グッバイ・フューチャー。さよなら未来。過去も未来もない永遠の現在の中でまっさらな捨て子たちだけが天使の歌を聞くだろう。(作家 中森明夫)

 

これまで見えなかったことまで見える時代。全てが開かれていく時代の波が押し寄せていました。そこでどう生きるのか、つまりどう開くのか?それはテクノロジーの進化とどう付き合うかという問題でもありました。90年代初頭、まだまだ電話やファックスがコミュニケーションの主役だったインターネット前夜の時代。そんな中、いまや伝説となったイベントが開催されました。「電話網の中の見えないミュージアム」です。このミュージアムの観客はダイヤルQ2などの電話サービスやファックスを通じてアクセスすることで作品を鑑賞。いわば電話網自体が会場なのです。この試みは後のネット世界を先取りしていました。

 

1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生。倒れるはずがないと思われていたものが次々に倒壊しました。ライフラインが広範囲にわたって寸断され、関東大震災以来最大の地震被害となりました。また震災の衝撃の残る3月20日、今度は東京の地下鉄で人々を震撼させる事件が起こりました。戦後最大級の無差別テロ地下鉄サリン事件です。オウム真理教施設への強制捜査が始まるとマスメディアもその光景を映し出しました。特異の集団への不可解な感情が人々の間に渦巻き、社会への漠然とした不安感が広がり始めました。駅や街のゴミ箱は一斉に撤去され、監視カメラが街のあちこちに設置されるようになりました。1995年の締めくくりはウィンドウズ95フィーバー。ネットの時代が動きだしました。

 

漫画家・岡崎京子は1995年7月に「ヘルタースケルター」の連載を開始。トップスターにのぼりつめたファッションモデルりりこですが、その美は全身整形で作られたものでした。まるで精密機械のように手術を繰り返します。危ういバランスの上で成り立つ身体改造のヒロインはなぜ生まれたのでしょうか。

 

90年代、日本のサブカルチャーは西暦より先に世紀末を経験し、新たな道を歩み始めました。その道は今に続き、私たちはその途中でさまよい続けています。


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