フィレンツェ ルネサンス物語Ⅰ|美の巨人たち

NHK・Eテレの「美の巨人たち」800回SPで天才たちの芸術革命 フィレンツェ ルネサンス物語Ⅰが放送されました。14世紀初め、イタリアのフィレンツェでは、毛織物業や金融業で莫大な富を得た市民たちが市政をを左右する力を持ちフィレンツェをトスカーナ地方の最大の都市に作り上げました。この時代に起きた芸術の運動がルネサンスです。ルネサンスは再生・復活を意味しています。フィレンツェで古典や古代文化の復興を目指す運動が起こったのです。新たな価値観も生まれました。それは「神も美しいが人間も美しく価値がある」という人間性の回復という考え方です。それは芸術の在り方をも変えました。フィレンツェの富裕層たちは芸術家たちのパトロンとなって建築・彫刻・絵画と様々な芸術を庇護するようになり、街は美しく変貌しました。そして天才たちが次々に登場し栄光と挫折のドラマが繰り広げられました。

 

ルネサンスが花開いた建築

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、ルネサンス黎明期の1436年に完成した大聖堂です。今もフィレンツェの人々にとって大聖堂は街の象徴であり誇りです。「花の大聖堂」と呼ばれ愛されてきました。13世紀から約140年をかけて建築されたため後期ゴシックとルネサンス様式が混在しています。その特徴は白・緑・ピンクの大理石を幾何学模様に配し、華やかな外観を作り出していること。大聖堂を空から見ると十字の形になっています。全長153メートル、八角形のドームの直径は45メートルです。この巨大なドームはルネサンス初期の最高傑作と言われています。ドームの設計を手がけたのはフィリッポ・ブルネレスキ。石積みのドームとしては現在でも世界一の大きさを誇ります。内部は一見簡素な空間ですが1500人規模のミサができる広さがあります。ステンドグラスはルネサンスの芸術家たちの作品で彩られています。100メートル近い高さの天井には最後の審判が。これは16世紀にジョルジョ・ヴァザーリが描いたフレスコ画です。

大聖堂広場には重要な建物が他に2つあります。画家で建築家のジョットの構想で建てられたジョットの鐘楼は高さ84メートルの塔の屋根にのぼることができます。そして大聖堂の目の前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂は11世紀に創建されました。洗礼堂の東側の扉はミケランジェロが「天国へ向かうにふさわしい門」と称賛したことから「天国の門」と名付けられました。作者はロレンツォ・ギベルティ。ルネサンス初期を代表する芸術家の一人です。

 

ギベルティ vs ブルネレスキ

実は扉の制作はコンペで決まりました。2人の芸術家が闘いルネサンスの扉は開きました。ギベルティとコンペで闘ったのはフィリッポ・ブルネレスキです。年はブルネレスキが一つ上で、当時はまた2人とも20代でした。ギベルティは手先が器用で、商才にも長けていて父親とともに大きな工房をかまえていました。一方、ブルネレスキは頑固で神経質で職人気質でした。コンペのテーマは旧約聖書からイサクの犠牲が選ばれました。アブラハムが息子イサクを生贄に捧げるよう神に命じられた場面です。当時の審査員たちは迷いに迷い、二人の共同製作に決定しました。しかし、一人でなければ勝利したことにならないとブルネレスキは建築を学ぶためにローマへ行ってしまいました。結果、ギベルティ一人が選ばれたのです。

 

因縁の対決再び

扉のコンペから16年後、ブルネレスキはフィレンツェに戻ってきました。大聖堂のドーム建築のコンペが行われることを知ったからです。大聖堂のドームは世界最大の大きさで、何十年もの間計画されながらも実現できずにいましたが、ブルネレスキには自信がありました。今度こそチャンスをものにすべくのぞみましたが、またしてもギベルティも参加していました。この戦いで勝利したのはブルネレスキでしたが、工事をボイコットしました。実は羊毛組合がブルネレスキ一人でやり遂げられるか不安になりギベルティとの共同製作を指示したのです。それに対し、ブルネレスキは仮病を使い工事をボイコット。当惑したのはギベルティ。何しろドームの模型すら完成させることができず音を上げてしまったのです。ブルネレスキの思惑通り、今度こそ一人勝ちしました。

 

世界最大のドームの誕生

従来のドーム建築のように木枠の上に石を組む工法では巨大すぎて不可能でした。そこでドームを八角形にし、間にもうけたリブという支柱で支える構造にしました。さらに、最初に内側に小さめのドームを作ってから外側にドームを建築することで、その隙間分だけレンガが不要になり軽量化できました。その隙間は展望台のテラスへ向かう通路に利用され観光客に開放されています。463段の階段をのぼると高さ90メートルの展望台。テラスからは赤いレンガ屋根のフィレンツェの街が一望できます。

 

美しきヴィーナスのモデル

サンドロ・ボッティチェリ作「春 プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」にはモデルがいます。それはシモネッタ・ヴェスプッチ。彼女はポルトベネベで生まれ17歳でヴェスプッチ家へ嫁ぎ、フィレンツェへ。ロレンツォとは年も近く友人に。しかしシモネッタは結核のため23歳で亡くなりました。ロレンツォはボッティチェリに依頼し、彼女をモデルにヴィーナスを描かせたのです。

 

ボッティチェリ vs レオナルド

若き日のレオナルド・ダ・ヴィンチも絶世の美女シモネッタ・ヴェスプッチを描いていました。ボッティチェリとレオナルド、運命的な出会いをする二人はお互いその才能に激しい嫉妬の炎を燃やしました。続きはルネサンス物語Ⅱへ。


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