映像のリアルって何だ?|ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ

NHK・Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ」90’sリミックスで第3回 映像のリアルって何だ?が放送されました。

 

1989年の日本、昭和から平成へと時代が移る中、一人の男が映画界に鮮烈なデビューを果たしました。ビートたけしこと北野武です。乾いた暴力、極端に少ないセリフ、余韻の残る長い間。その映像と出会うことは、まさに事件でした。時代は90年代へと突入。冷戦終結後の新しい時代への期待は不安へと変わりました。世界中で起き続ける紛争。今までと変わらない戦争や暴力の風景。そして1993年、映画「ソナチネ」が公開されました。当時、そのアクションシーンの演出について北野武はこう語っています。

「対象物はなるたけ動かない方が良いんですよね。そうすると、こっちの方が動揺してしまう。ギャク映画なんてよく拳銃持って5人くらいが団体でダーっと走ってきたりなんかしてね、動きまわるとね、すごく心地よいんだよね。神経全然使わないから。それは凄いアクションに見えるけど何にもインパクトないんですよね。動くことによって冷めるのね。見てる方も。動かない方が良い」(北野武)

画面に漂う独特の空気感は北野映画の代名詞となりました。たんたんとした暴力描写にひそむ生々しいリアリティ。そのシーンの裏側にはどのような背景があるのでしょうか?「ソナチネ」の主人公について北野武はその著書で以下のように語っています。

「楽しく豊かな生活ってのを唯一の目標にして頑張ってきて、差し当たってその目標が実現した時の空虚感ってのがあるわけで、そもそもどうして我々はここにいて生きなければいけないんだろうって疑いがせり出してきちゃった。生きることがどれだけ嬉しいんだか、死ぬことがどれだけ罪悪なんだかわからない、この地球の上にいてよりいい生活を目指し、結婚して子供を作り働いて死んでいかなくてはいけない理由、根本的にいってなぜそうするのかがわからない、そういう気分って確実にある。『ソナチネ』の主人公ってのがその気分をかなり純粋に体現しているわけで、生きようが死のうがどうでもよくなっている」(こんな時代に誰がした!より)

 

1991年1月17日、湾岸戦争が勃発。現地の戦況がリアルタイムで中継され、お茶の間へと届けられた初めての戦争でした。飛び込んできたのはアメリカ軍の兵器が標的を正確にとらえる映像。攻撃する側の視点で一方的に流された映像は人々から「まるでテレビゲームのような戦争」「ニンテンドーウォー」と揶揄されました。フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールはこのメディアが流す戦争の映像に警鐘をならしました。その著書「湾岸戦争は起こらなかった」において、以下のように記しました。

「イラク軍のコンクリートや砂の塹壕のなか、アメリカ軍がエレクトロニクスで制御する空の上、あるいはテレビのおしゃべりな画面の後ろに戦争はすっかりのみこまれてしまった」(「湾岸戦争は起こらなかった」より)

後にボードリヤールはある対談でこう話しています。

「テレビのスクリーンを埋める映像のように、歴史の空虚を意味もなく埋めてゆく非出来事。湾岸戦争ほどこの形容にふさわしいものはありません。実際、それは何よりもTVのスクリーンの上で演じられた戦争でした。すでにヴェトナム戦争もTV時代の戦争だと言われはしたものの、そこでは情報はまだ現実の後を追っていた。ところが湾岸戦争では、すべてがリアル・タイムで放映される。こうした情報のショート・サーキットにおいては、出来事が出来事として生起し認知される時間がない。その意味で、リアル・タイムが歴史を殺すのだと言っていいでしょう」(ボードリヤールの言葉)

情報の絶え間ないショート・サーキットの中で人々はリアリティを見失っていくのかもしれません。

 

80年代後半から90年代にかけてバーチャルリアリティ(仮想現実)と呼ばれる概念が一躍脚光を浴びました。現実と虚構の境界を曖昧にするような映像は、未来のテクノロジーとも呼ばれました。ゲームの世界では「ストリートファイターⅡ」など他人と勝負する対戦型のゲームが登場。映像の中のキャラクターとプレイヤーが一体となるような感覚が斬新でした。プレイヤーは画面の向こうの対戦相手の存在を感じ、バーチャルな戦いにも関わらず痛みを感じるほどのめりこんでいきました。

そしてパソコンの普及と共に家庭用ゲーム機やパソコン用のゲームソフトが普及。1992年に発売された恋愛アドベンチャーゲーム「同級生」は自分が選んだヒロインを相手に恋愛関係を深めていくシミュレーションゲームです。プレイヤーの選択次第でストーリーが変わっていきます。中には架空のキャラクターに本当に恋をしてしまう人も。

バーチャルの世界はペットにまで。1996年、電子ペットブームが過熱。小さな液晶に描かれた電子ペットは、飼い主になると食事、しつけ、排泄などの世話をし、いったん始めると24時間中断することはできません。寿命は平均7日~10日。このゲームの終わりは死でした。あるお寺では死んだ電子ペットの葬儀まで行われることもありました。90年代にどんどん浸透していったバーチャルの世界。リアルと虚構の境界線が変わっていきました。

 

90年代初頭、夜になると路上に集まってくる若者たちがいました。彼らは「チーマー」と呼ばれ、アメリカ映画などに登場するストリートギャングに影響されチームを作り、渋谷センター街を中心に活動。ジーンズに古着などを好みロンゲでヘアバンドをした60年代アメリカンテイストのストリートファッションは「渋カジ」と呼ばれ注目されました。その規模も徐々に拡大し、最盛期には渋谷内外から300人もの若者たちが集まるほどに。しかし同時に渋谷の治安は悪化。グループ同士の抗争やケンカにとどまらず、パーティー券の押し売りなどその行動は徐々に過激化。無関係な通行人に危害を加えることも。当時は「センター街のスラム化」と呼ばれるほど荒れていました。中にはタトゥー、刺青、ピアッシングなど過激な身体改造に走る人も。90年代、そこには今とは違う渋谷があったのです。

 

90年代に入り、カメラは使い捨ての時代へ。1986年に発売されたフイルムカメラが爆発的にヒット。いつでもどこでも誰でも、写真は気軽なものになりました。そのカメラにいち早く飛びついたのは女の子たちでした。街ではカメラを持ち歩く女の子たちが急増し、「ガーリーフォトブーム」と呼ばれるまでに発展しました。1995年にはプリント倶楽部、通称プリクラが登場。10代の女子を中心にプリクラブームも起こりました。彼女たちにとって写真は重要なコミュニケーションツールとなっていきました。そのブームの火付け役は当時18歳でデビューした写真家HIROMIX(ヒロミックス)です。ヒロミックスは自分が過ごした日常を断片的に写真におさめました。彼女が写し出す何気ない日常風景の中に、ふいに挿し込まれるセルフポートレイトには突き刺すような視線の彼女自身の姿が写し出されています。

 

90年代はバーチャルな世界とリアルな世界が乱反射する時代の始まりでした。その構図に流されないように私たちは何もない身体で立ち尽くしています。




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